2008年01月31日

今後の「Lakuen」のことなど

リピーターのゲストなどから、今後についての問い合わせなどが届いているので、ちょっと説明。

3月10日から、東京の西麻布でレストランを経営されている久保寺さんが、とりあえず6ヶ月間、「Lakuen」をレンタルすることで先日、正式契約。

リッキーさんのお陰で「鬱病」は、なんとか克服できたが、やっぱりまだ、「正常」な状態ではない。これから何をしていくのか、しなくちゃいけないのかとかも、な〜んにも見えていない。とにかく「白紙」状態。

久保寺さんにとっても、インドネシアでのビジネスは、初めてなので、では、とりあえず、6ヶ月、お互い様子をみてみましょう〜ということになった。

なので、向こう半年くらいは、久保寺さんも設備投資は、せず、レストラン内部の改善やスタッフ教育などを中心にしながら、インドネシアでのビジネスを模索していくような形になるかと思う。

レストランについては、彼の本業であるので、私も楽しみにしている。ロケーションがいいのだから、これで、スンギギあたりからの1日観光の人たちが、お食事にきてくれて、レストランの売り上げが上がれば、かなり助かる。
以前、日本の友人のスタッフに1週間くらい滞在してもらって、日本食の指導をしてもらい、日本食メニューもあったのだが、あまりに不評なので、やめた。
私はどうも、普通の人と味覚が違うみたいで、味の指導とかができない。
レストランについては、シェフに全て任せている現状である。

で、そのシェフは、なかなか腕も良く、好評で、責任感もあり、がんばってレストランを切り盛りしてくれているのだが、スタッフが何度言ってもいうことを聞かなかったり、ルーズだったりで、そうとうにストレスがたまって、かなりきつそうで、そろそろ限界だろうな〜といった雰囲気は、感じていた。

なので、レストラン業が本業の方が経営を見られるのは、最適かと思う。

私はつくづく幸運だよな〜と思ったりした。
ちゃんと、「適任者」が現れてくれちゃったのである。
(まぁ、始めは、私と全くタイプが違う??久保寺氏に疑心暗鬼??な感じであったのだけれど。その理由については、また、ゆっくり。どうも前世で関わりがあったみたいで、そのために、私が、彼を上手く受け入れられなかったみたい。)

で、この半年間、私の予定は、未定である。
メインの生活は、バリになるのかな〜という気はしているが、時々はここに帰ってくるかと思う。

家賃収入は、インドネシアで最低限生活できるかどうか〜くらいの金額なので、残念ながら、旅行とかは行けそうにない。エンジンとか使っていない故障車??を売れば、ちょっとした旅費になりそうだけれど、売れるかどうか。

まぁ、でも、今の私に大切なのは、ビジネスから解放されて「自由」になることなのである。
海外移住を決断した時も、決断した時点では、100万円もなかったのである。

決めちゃえば、あとは、なんとかなるのだ〜。

やった〜。半年の休暇〜。
これって、すごいありがたいことだよね〜。

思えば私は、いつも休暇がいっぱいあった。仕事を何回も変えているから、その度に、長期休暇が好きなだけあったのである。
で、新しい仕事を始めると、休みなく気が狂うまで働いて、疲れきって、その仕事を止める〜というパターンを繰り返してきた。
持続性がないのは、そういうのもあるんだろうな〜。
適当にごまかしながらでも??継続していくことを学ばなくちゃいけないのかもしれないけれど、でもまぁ、いっか〜。今のところ、なんとかなっているんだし。

人は、なかなか自分のパターンを変えられないものだよね〜。

☆ インサイド・セットで肩。風もなく、干潮前後がなかなか良かった。それにしても、この時期例年は、日本人でいっぱいなんだけど、今年は、欧米人もものすごく多い。ヨーロッパとか、カナダとか。寒いところの人が続々とやってきている。バリがあまりにも混みすぎているので、バリから避難してきているツーリストも多いらしい。これで国際空港なんかできた日にゃ〜ポイントパニックは、避けられない。サーフィンでロンボク来たいな〜とお考えの方、できるだけ早めがいいよ。ここ1年で、混雑は、日増しに??増えてます〜。
  

Posted by Ruri at 19:16その他いろいろ

2008年01月30日

施術会と講習会

リッキーさんの得意技??は、痛いところを取り出す事。2年半くらい前にネパールで上とつながってから、人の病気のところが、黒く見えるようになったという。で、それをその場で取り出してしまうから、病気が一瞬で治ってしまう。みんなもびっくりしたし、当のリッキーさんもはじめはそうとうにびっくりしたらしい。

今まで普通??の人が突然、そんな力がついて、なんでもできるようになっちゃったら、自分を制御というか、まっとうに生きていくのは、とても難しいことと思う。

師匠を持たないリッキーさんは、自分で学んでいくしかなかったという。すごく大変だったろうな〜っ思う。
私も「次のお仕事」があるみたいで、今回こんなに落ちて、自分では、上がれなくって、リッキーさんが助けにきてくれたけれど。

「次のお仕事」が今まで以上に過酷で、厳しいものなんだろうな〜とちょっとびびってもいるし、覚悟を決めろ〜って感じでもある。リッキーさんがバリに帰られてから、また、ちょっと調子が崩れ、夜中に吐いたり、ゲリが続いたりして、この2日間食欲もなく、オートミールとフルーツをちょっと食べたくらい。
なんとなく、その理由は、解っている。だから、前みたいに「落ちない」し、真実を受け止める強さを与えてもらったから、「大丈夫」ではある。でも、多分、もうちょっと、時間が必要みたい。

リッキーさんが、ギリにお友達を探しに行って、また、「Lakuen」に帰ってこれるか、時間的に微妙な感じだった。
「タバコ止めたらくるよ」といじわるそうに笑う。私がタバコを吸っていると、「ホントに悪い事してんのわかってんの〜」と訴えていたリッキーさんの目が脳裏に焼き付いて、頭から離れなくて、タバコを止めた。

ギリから帰って来れたら、スタッフやグルプックローカルの施術会と講習会をもってもらうことになっていた。
もう一度帰ってきて欲しかったから、タバコは、止めたものの、施術会と講習会については、だんだんと不安になってしまった。今まで、ローカルにとって、良かれと思ってやったことが、結局、逆効果になってしまったことが山ほどある。
もし、リッキーさんが、一部のローカルの病気を治したり、病気を治せる方法を教えたりしたら、それはそれでまた、嫉妬や恨みつらみが生まれたりしそうな感じがして、苦しくなった。

結局、リッキーさんは、グルプックに帰ってきてくれ、翌日の1時から講習会を持つ事になった。約束の1時ちょっと前に、スタッフに、「どう??何人集まった??」と聞きにいくと、ある一人のスタッフのところで、講習会の話しが止まってしまっていた。その子に「なんで、みんなに話していないの?」と聞くと、「病人なんかいない」という。「講習受けたい人もいない」という。

そう。これが、ローカルスタイルそのものなのだ。どんなに一生懸命がんばっても、伝わらなかったり、逆効果になったり、そういうことを2年半も繰り返してきて、私はすっかり疲れ果ててしまったのだった。
(その子の体中から、憎悪が溢れていたのを感じた。だから、「病人なんかいない」という発言をしたのだと思う。もしくは、何者かがそう言わせたのかもしれない。)

「オッケー。ローカルがいらないなら、別にいいよ。私は外国人だし、関係ないこと。ここは、あなたたちの村でしょ。あなたたち一人一人が、自分で守っていかなくちゃいけないこと。必要ないなら、それでいいよ。30分だけ待つから、必要だったら、内線電話で呼んで。」と言って、部屋に戻った。

リッキーさんに状況を話し、みんながどうでるか、みてみましょう〜ということになった。

そして、30分後、5名の重病人と講習を受けたいローカルが「Lakuen」のレストランに集まっていた。

ヘッド・ガイドのレンディーが通訳し、重病人の施術が続く。リッキーさんは、簡単に病気を取ってしまえるが、大事なのは、何故、それが起こったのか。原因を理解し、そうならないように改めていくことを教えるカウンセリング的な仕事の方が重要なのである。
なので、通訳はかなり大事。レンディーは、通訳として、話しを伝えていく中で、一番、理解が深まったような気がする。(多分、これから、グルプックのローカルを上手に導いていける人になっていくような気がした。)

そして、3時間くらいかけて、数名の治療が終わった。リッキーさんは、すっかり疲れきっているようだった。これ以上お仕事をさせては、かわいそうな感じがして、講習会は、別の機会に〜という気にもなった。が、スタッフの一人が「講習会は??」と聞く。
リッキーさんは、「覚えたい人がいるなら、今やりましょう。」と言ってくれた。

初めはかなりの見物人がいたが、治療時間が長かったため、残っていたのは、一部のスタッフだけになっていた。
その残った8名のスタッフで、リッキーさんみたいに人を治せる力を上から与えてもらえる講習会?を受けた。

「病気」というのは、「気」の病だと、リッキーさんは、言う。「病体」ではないのだ。例えば、腰が痛いのは、気の流れがとどこおり(腰の場合は、怒りが主な原因らしい)、そこに傷みが発生してくるという。気が正常に流れれば、傷みは消えるのである。「YUKI」と呼ばれる彼の施術は、この「気」を正常に流すことにある。

呼吸法から始まり、瞑想、そして、リッキーさんが私たちを上とつないでくださった。
どうも、ローカルは、あんまり深くものごとを考えないから、こういうことは、かなり得意みたい。すぐにみんなできるようになった。といっても、まだ、治すまではいかないけれど、「気」や「熱」は簡単に感じるようになった。
この講習会は、日本でも開かれているそうなので、興味ある方は、ミキシーのリッキーさんのページからアクセスしてみてください。

ちゃんと治せるようになるには、毎日瞑想して、修行して、1年くらい必要だという。

思った以上に、ローカルには、ストレートに伝わったみたい。リッキーさんは、忙しい人だから、もう、今度いつ、ロンボクに来てもらえるか解らないから、みんなで、もっと力をつけて、自分たちで、病気を治したり、嫉妬や怒りを消していきたい〜とローカルから言い出した。これには、かなり泣けた。

私が「Lakuen」を作った理由がそれだった。
ここグルプックが世界で一番美しく平和で優しい村になったらいいな〜というのが、夢だった。

私は私の「役目」を果たしたかな〜という気がした。

あとは、ローカル次第。「真実」に気づいた子が何人かいる。その子達が、ここの悪しき風習や嫉妬や怒りを少しずつ、取り除いていけるような気がした。そしたら、ここは、本当に平和で美しく、優しい村であり続けられるような気がするし、そうあって欲しい。そんな姿が今、くっきりと目に浮かぶ。(人の「想念」が世の中をつくっているらしいので、ちゃんと映像で思い浮かべれば、その通りになるらしい。)
リッキーさん、ありがとう〜。

☆ インサイド・セットで頭。2月8日にスンギギでローカルのサーフィン大会があるらしい。うちのガイドも出場予定で、練習開始。久々にスタッフとサーフィン。2日間食べてないから、パワーなくて、初心者並みだったけど。やっぱり、海は気持ちいい〜。リッキーさんにも、あなたは海に入らなきゃだめ〜と言われてしまった。何やら私は「GT〜ろうにんあじ」だった時代があったらしい。妙に納得し、そしてものすご〜く嬉しかったりした。どうりで、水につかっていると気持ちいい。サーファーは、多分、みんな前世は、お魚だったんだろうな〜きっと。
  

Posted by Ruri at 16:45精神世界のことなど

2008年01月29日

わかりやすいところから

1週間程前、沖縄時代、ほぼ同時期にガラスを吹いていた友達に紹介してもらって以来、とても強い力を持ち「気」を感じられる方と、かなりの時間を共に過ごさせていただいた。
欲張りな私は、多分もっともっと、いろんなことを教えて欲しかったんだと思う。普通だったら、1回で元気になるはずなのに〜ってとこを3回も落ちた。その度、しょ〜がね〜な〜って感じで、彼は、私を上とつなぎ、浄化し続けてくれた。

その詳細については、また、ゆっくり何かの折りに書きたいと思っている。
(とても一口で説明できるようなことではないし、もう少し自分の中で、消化しないと、上手く表現できそうにない。)

で、もっと解りやすいところから、書いてみる。

彼と一緒にいると、とにかくいろんなことがクリアに見えた。
例えば、ものすご〜く辛そうな人が目の前に現れると、「ああ、この人、きつそう〜。ものすごいたくさんの荷物を背負って歩いてるみたい〜」というのが、はっきりと見えてしまった。
また、ある場所(ロンボクの観光地のひとつで、昔ながらの生活をしている部落)では、それまでは、別に問題なく普通に観光していたのだけれど、突然息が苦しくなり、いやな胸騒ぎがし、「もう、帰りたい」と口にしていた。

多分、彼が何かを感じていたから、私にもそれがうっすらと感じられたんだと思う。

でも、それが何なのかは、まだ、見えない。ただ、訳もなく、そわそわしたり、ドキドキしたり、気になっちゃったりするのである。

「どんな感じ」との問いに感じたままを答える。
「良くわかんないけど、強い力を感じる。何かに怒っているみたい。」「何かが喜んでいるみたい。」といった感じで、現地実習が続いた。

今でもくっきりと目に浮かぶのは、「葉っぱが笑っていた」映像である。

クタで最近ホテルをオープンされた日本人のKさんにも、ぜひ、彼を紹介したくて、一緒に食事に行った時のこと。

なごやかにみんなでいろんな話しをしている中で、彼が「どうもこの土地がKさんを守ってくれているみたいですね〜」と語った瞬間、かなり距離は、あるのだけれど、ちょうど正面にあった葉っぱ(多分、くわずいもの葉っぱと思う)が、ニコニコとおたふくさんみたいに笑い出したのが、くっきりと見えてしまった。
え〜っと思って、師匠の顔を見ると、「見た??」って感じで、いたずらげな顔で笑う。弟子としては、「見えちゃったよ〜。」である。

時に、雲が龍の形になって、太陽に向かっていたり、リンジャニ山が助手席に座っていたりした。

感じたままを師匠に報告すると、ちゃんと、そうだね〜と、理由を説明してくれる。子供が先生に質問して、先生がこれはね〜って説明してくれるのと同じで、みんなちゃんとつじつまがあい、納得ができてしまう。
「ん〜。でも、これ、普通の人に言ったら、私そうとうやばいみたいだよな〜」とも思って、苦笑した。

彼は、今日のお昼の便で、バリに戻られた。彼を必要としている人たちが、山ほど待っているのである。
本当は、1年くらい、びったりくっついて、いろんなことを教えて欲しいくらいである。そのくらい時間をかけないと、私には、学べないことと思う。
でも、必要としている人は、もっともっと、いっぱいいるのである。
後は、自分で、感じていくしかない。
頭では解っているけれど、覚悟を決めるには、もう少し、時間が必要な気がした。

でも、禁煙による禁断症状は、なくなった。良かった。
3日で止められるくらいのことなら、さっさと止めた方がいいね。

いろんなことに行き詰まったら、雲を眺めてみるのもいいかもしれない。
下手なテレビドラマを見ているより、もっともっと、いろんなドラマが劇的に展開されていたりするような気がする。

☆ お見送りの後、サーフィンしたかったのだけれど、キャプテンがいなくて、仕方なく目の前のビーチで、行水。とにかく今日は、なんでもいいから、水(海)につかりたかった。波は、インサイドがかろうじて割れていた程度らしい。
  

Posted by Ruri at 00:03精神世界のことなど

2008年01月25日

ヨガ教室開催

ああ〜。タバコ、吸いたいよ〜。昨日から禁煙してるんだけど、まだまだ上手に下界??と決別??できないみたいで、吸いたくて仕方ない。
がまんがまん〜。

さて、2月10日から29日まで、「Lakuen」敷地内で、ヨガ教室を開催します。
うちのリピーターのゲストさんで、日本でも教室を持ってらっしゃるOさんが、9日から、長期滞在されるのに合わせて・・・の企画。
この時期、ロンボクに滞在予定の方など、お気軽にご参加ください。
また、「Lakuen」バンガローの予約状況としては、16日以降は、まだかなり空きがあります。サーフィン・ヨガ・マッサージのパッケージコースなどもつくる予定〜。ご興味ある方は、メールでお問い合わせください〜。
ヨガ教室の内容は、予定では、1日1回、午後1時くらいから1時間半。価格は、80,000RPくらいを想定しています。

今日は、「ロルフィング」のスペシャリストさんからもなんかやれたらいいですね〜とメールが届いた。「ロルフィグ」なんて聞いたこともなく、全く知識がなかったので、ネットで検索して、だいたい解って、これまた、面白そう〜〜である。

友達の紹介で、知り合ったコリッキーさん(ミクシーやってる人は、こちらから〜。http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2481687) をバリからロンボクまで強制連行??し、ここ数日、びったりくっついて、個人授業??を受けさせてもらった。これは、かなりラッキーで光栄なことと思う。コリッキーさん、ありがと〜。

ここ数日間に私が学んだことや起こったいろんなことについては、これからおいおい書いていきたいと思っている。で、今回つくづく思ったのは、このコリッキーさん、いつもニコニコして、優しくて、おしゃべり上手で、人を笑わせるのが上手な「酒好き」「釣り好き」の普通のおに〜さん〜って感じ。
ヒーラーさんとか、あんまり逢ったことないから、比較できないけれど、どうもなんか感じちゃう人は、その人自身が辛そうだったり、重かったりするような印象がある。
でも、コリッキーさんみたいに、なんだか普通の優しそうなおに〜さんだと、ついつい、気を緩めて、べらべらしゃべっちゃって、そこから「真実」にふっと自分で気づかされたり、ど〜でもいいけど、とにかくこの人と飲んでると最高に盛り上がって、楽しい〜みたいなのりがものすごく良かった。

地球とか世の中は、かなり危険な時期に向かっているらしい。(って、そんなのは、みんな感じていることだよね。)このところ、急速に「上」とか「天」とかとつながった人が増えているらしい。つながった人がもっともっと増えると、この地球とか世の中は、ちゃんと次に行けるらしい。もっともっと、たくさんの人が「真実」に気づいて、つながっていかないと、ここを守っていけないらしい。
逆に、次にいけるかどうか、試されている時でもあるみたい。

そう言われるとそうかな〜って気もする。

一人一人が「天」とつながったら、地球は、本当に美しい緑の球体のまま、くるくると回り続けると思う。
じゃぁ、つながるってどういうことっていうと、そんな美しい地球をちゃんとイメージできること、そうなったらいいな〜、そうなりますって、心から祈れること。
そしたら、す〜っと肩の力が抜けて、体が軽くなって、ああ、私もつながった〜って気になれる。
そしたら、目の前にある現実的なさまざまな問題も、不思議とすんなり解決しちゃったりするのである。

つながりやすい体質になるためには、瞑想がいいようである。瞑想については、また、今度〜。

☆ アウトサイド・セットで頭くらい〜。多分。
  

Posted by Ruri at 15:44精神世界のことなど

2008年01月25日

禁煙開始

書きたいことは、山ほどあるのだけれど、頭が飽和状態なのと、今日から禁煙始めたのとで、ちょっとパンパンな感じ。大切なことは、後日ゆっくり、折りをみて。

前にもちょっと書いたけど、沖縄を出るちょっと前から、タバコが吸えなくなって、かれこれ7年くらい禁煙していた。ちょうどサーフィンを始めた頃からだから、吸えなくなって良かったな〜であった。(ついでにオーストラリアは、タバコがかなり高いから、金銭的にもかなり助かった)

吸い始めたのは、かなり遅く、確か20代半ばくらい。
高校生の頃、「写真同好会」に所属していて、校舎からちょっと離れた6畳くらいのプレハブの暗室兼部室は、格好の「喫煙室」になっていた。
そこで、先輩がもくもくと??休憩時間にタバコを吸っている中、一緒におしゃべりしてたから、私の制服もそうとうに臭かったと思う。
「おまえ、タバコ吸ってるだろ〜」と実際に先生に言われたこともあったけど、私的には、女の子がタバコを吸うのは、強い不快感があって、自分で吸ったのは、20歳を過ぎてからである。

日本にいる頃、セブンスターが大好きだった。セブンスターがない時は、友達から、ハイライトとかをもらってバカバカ吸っていた。軽いタバコが好きじゃなくって、そんなおいしくないの吸うくらいなら、タバコ吸うな〜くらい思っていた。

が、吸えなくなってからは、突然「嫌煙家」になって、友達にやれ、吸うな、臭い、あっちいけ〜と騒ぎまくるから、そうとうに嫌われた。

本当に、10メートル先くらいで吸われただけで、気持ち悪くなった。

そんな自分が嬉しかった。体が受け付けなくならない限り、止められなかったと思う。

が、ここ1年くらい前から、また、吸い出してしまった。
あ〜あ、まただよ〜って思いながら、次に吸えなくなる時を待つしかないな〜という感じで、時に、減らし、時にやみくもに吸う日々が続いていた。

自分が止めて「嫌煙家」になった時は、あなたが勝手に吸って、ガンとかになって、死ぬのはかまわないけど、間接喫煙で、関係ない人があなたのせいで不快になったり、死んだらどうする訳??と、いつも言っていた。

でも、今回自分が吸い始めて、そういうことを忘れてしまった。
自分で吸いたくて吸ってるんだから、自分は死んでもいいよ〜って。間接喫煙のことまで、忘れてしまっていた。
それでも、人の煙は、気になるから、できるだけ、人前では吸わないようにしていたけれど、パンパンになってくると、もう、止まらなくって、バカバカ吸いまくっていた。

喫煙は、「悪想念」を作るだけだよ。罪もない隣人を傷つける行為でしかないんだよ・・・と、師匠(勝手に師匠と呼ばせてもらうことにした)に言われて、そういえば、自分も同じようなこと言ってたくせに、今は、平気で吸って、やなやつ〜と自分で思って、恥ずかしくなった。でも、吸えなくなるまで、待ちたかった。もう少し、狂う程吸ったら、止められると思っていた。

もちろん、吸えなくなって止める方が楽である。でも、もしかしたら、今は、戦わなくてはいけないのかな〜とも思ったりして、昨日の夜を最後の1本にした。
吸い殻も、残っていたタバコもみんな捨てちゃったから、吸いたくても吸えない。この時間じゃ〜買いたくても買えない。
かなり集中力がなくなってるけど、このくらいがまんしてみようかな〜という気になれた。

人の「想念」が世界の全てをつくっているらしい。

明日は、いい波〜って思えば、波予報は、最悪でも、多分、きっと、最高の波に当たるんだと思う。ようは、世の中、どれだけ、「強く」、思うかってことだけにかかっているみたい。

☆ インサイド・セットで肩・・・多分。

  

Posted by Ruri at 00:49その他いろいろ

2008年01月19日

次へのステップ

昨日、約束通りに、ある「日本人男性」と逢うために友人と彼女のお母さんと3人でウブドに行った。

前日は、ドキドキしてあんまり眠れなかった。

この男性Kさんは、2年半前ネパールで、ちょっとした「出来事」をきっかけに、第7チャクラが開き、現在は、講習会やさまざまな活動で世界中を飛び回っているという。
声の印象がとても心地良く、お逢いしたらその声と同じくらい心地良い男性だった。人に警戒感を与えない穏やかなとても人当たりの良い感じである。
ウブドの田んぼが見渡せる静かなレストランでお食事をとりながら、お話をさせていただいた。
電話で話した段階で、だいたいの私の状態を把握され、逢った時に、「今日一日で大丈夫でしょう」と、言われた。半年くらい悩み苦しんでいたことが、たった1日で、すっきりするもんだろうか??と、思いはしたが、とにかく、近況などをお話させていただく間に、だんだんと核心に近づいていく感触。
最大の「原因」は、あっさりと見つかった。そして、バラバラだったことが、少しずつつながっていく。

軽い彼式の手法で、私の周りにあったものを取り除いてもらった時、「目が良く見えるようになったでしょう」と言われた。私はここ数ヶ月、極端に視力が落ちているのを、感じていた。確かにす〜っと視界がひろがり、全てのものが、くっきりと色鮮やかに見えた。でも、まだ、30%くらいな感じ。

これから、アル中の女性に逢って、その後に、瞑想会を持つから、それに参加した方がいいねと言われ、友達と別れて、Kさんについて歩いた。

彼はいろんなところで、いろんな人を治している。痛いところを取るのが得意らしく、肩こりから末期がん、骨折なども、治す。
昨年のジョグジャの地震でも、たくさんの怪我人を治し、今回も2月、ジョグジャで一緒に活動した人たちに逢いにいくらしい。

そんなにたくさんの人を助けたら、自分が疲れないですか??と聞くと、自分は、天からのパイプ役なだけで、自分の力を使っている訳ではないから、それほど疲れはない・・・という。

瞑想会には、6名の日本人が集まっていた。
まずは、軽く、みんなの痛いところなんかを治しながら??雑談のあと、彼の引導のもとに、瞑想方法を指導してもらい、みんなで「アトランティス瞑想」というのをやった。

これが、ものすごく気持ちよかった。
彼が語る通りにイメージを浮かべる。
まず、頭に太陽を思い浮かべ、後ろに月、そして、手に地球を抱え、海の上に座るのである。
そして、地球にパワーを与える。

彼の理念では地球は、人間次第で変われるという。一人一人が地球を愛し、語りかけ、美しい姿でいてくれることを願えば、地球は、美しいまま、存続しうると語る。

このアトランティス瞑想というのは、アトランティスの時代に人々がやっていた瞑想法だという。
終わったあと、なんとも言えない、充足感でいっぱいだった。世界中の人が、みんなでこれをやったら、戦いなんかない、本当に平和な地球が訪れるような気がした。

瞑想の後は、みんなで和やかな会談となった。かなり楽にはなったが、私はまだ、頭の辺が重く、ずっしりとした感覚が抜けなかった。彼が少しずつ、私からその「悪い気」を抜いてくれてはいるようだが、どうもしぶとく居座ってもいるようである。
外は、どしゃぶりの雨。なんとなく、クタに帰りたくない気持ち。この会のあと、どうするかも決断できないまま、ぼんやりとみんなの談笑を聞いていた。

そんななか、ちょっとしたことを彼に聞いた時、すらすらと自分がどんな「答え」を欲っしているのかが、見えてきた。私が何故、苦悩していたかが、はっきりと見えた。もちろん、さまざまな要因はあったのだけれど、なぜ、こんなに大きな苦悩になったのかが、はっきりと見えたのだ。

そして、今までの全てがつながり、す〜っと筋が通った気がした。
彼が私の第7チャクラを開いてくれたお陰で、自分で、メッセージを受け取ることができるようになったのである。

すでに夜8時半を回っていた。
「Sさんに逢わなくてはいけない」
突然そう思い立ち、クタに戻ることにした。
KさんをSさんに紹介したかったのだが、会も盛り上がっていたし、夜も遅いし、別の機会がいいかな〜と思ったのだが、Kさんは、「いや、今夜がいい」という。

どしゃぶりの雨と洪水で、あちこち迂回し、Sさんの店に着いたのは、すでに11時近かった。
そして、その場に居合わせた数名とSさんとで、気づくと朝の5時近くまで飲み明かしたのである。

とにかく本当に楽しかった。Sさんは、やっぱり、私が思っていたとおり、私と同じくらいやばい状態であった。(まぁ、あんまり外には出さない人なので、表向きは、元気そうだったけれど)
Kさんが、かなり悪条件だったにも関わらず、今日がいい〜と言った意味がよく解った。もちろんいろんなルートでSさんが、Kさんと出逢う機会はいくらでもある。実際その場にも、Kさんと面識のあった人が何人かいたのである。が、「私が紹介する」というのが、Sさんにとって、一番効果的であることは、SさんもKさんも感じていたと思う。そういうのって、とても大事と思う。私をKさんに紹介してくれた友人のように。私にとって、彼女じゃなくてはいけなかったのだ。

こんなに楽しくお酒を飲んだのは、本当に久しぶりだった。
気心の知れた友人と酒を飲むという機会が、そういえば、もう長い事なかったような気がする。

私は、もとの「元気」な酒飲み??に戻っていた。
Kさんが言った通りに、ホントにたった1日で、もとの自分に戻れたのである。
あの鬱病患者であった自分が信じられないくらいである。

明日、契約のため「Lakuen」の新経営者が来られる。それに合わせて、Kさんも一緒にロンボクに来ていただくことになった。最高に嬉しかった。
彼に「Lakuen」を見てもらいたかった。

ここまでは、一人でできた。自分でちゃんと「見えて」いた。
たくさんの人が私を守ってくれているのを感じたから、何も怖くなかった。が、突然、いろんなことが不安になり、先が見えなくなり、自分でも自分じゃないみたいだった。それが一番きつかった。
多分、自分一人では「次のステップ」に行けないところまで、行ってしまっていたのだと思う。そして、誰かに「次に行く方法」を教えて欲しいと願っていたのだと思う。
そのための苦悩だったのだと、今なら解る。
そして、Kさんが助けにきてくれたのである。そうとうに迷子になっていた私はまた、「道」に戻れたのである。

思えば、「ありがとう」の気持ちを忘れてしまっていた。
全てのことに憤りを感じ、全てのことに嫌気がさし、自分自身のやってきた過去さえも否定し続けていたこの半年間。
マイナス思考に陥った時は、自分の気持ちを変えることが一番大事なのは、もちろん、頭ではいくらでも解っている。でも、それができないのである。
そして、そうなると、もう、自分ではそこから抜け出せない。
何かの力が必要なのである。
人の力ではどうにもできない時、人は、「天」とのつながりが、必要なのである。
そして、誰でも「天」とつながることはできる。
今までは、方法もなんにも解らなかったけれど、ちゃんとつながってこれた。
だから、誰でも、つながることは可能と思う。
心の扉を開いて、どんなに小さなことにも「感じる」ことができるよう、「五感」をニュートラルというか、オープンにしていれば、ちょっとした答えは、自分で見つけ出せると思う。

そして、さらに先に行きたいとき、行くべき時には、必ず誰かが導いてくれるものと思う。

明日、ロンボクに帰る前にもう一人Kさんに逢ってもらいたいバリニーズの友人がいて、連絡をとったら、いつも忙しい彼と奇跡的に逢う事ができることになった。もう大丈夫、きっといろんなことが上手くいく。そんな予感でいっぱいである。

みんなみんな、ありがと・・・ね。  

Posted by Ruri at 16:58その他いろいろ

2008年01月17日

バリにて

どうしても逢いたい(逢わなくてはいけない)友人が沖縄からバリ入りするのに合わせて、14日からバリに来ている。

そして、昨夜未明に到着した友人と、今日、6年ぶりに再会した。

10年くらい前に知り合った彼女と私は、その後、いろいろな巡り合わせで、今日まで似たような経緯をたどっている。

彼女との再会も、いろんな意味で、偶然とも言えるが、今はお互いに必然であったと、ひとつひとつのストーリーを照らし合わせてみるとはっきりと言える。
そして、明日、彼女と一緒にウブドで「ある日本人男性」とお逢いすることになった。
この男性は、とてもお忙しい方で、なかなか逢いたくても逢えない方らしい。
また、この時期、本当は、南米に行かれる予定だったという。が、突然、インドネシアに行きなさい〜と天??からの啓示があり、10日からバリ入りしているという。

昨年末、ちょっとしたつながりでこの男性と出逢った彼女は、彼に「君のせいで、インドネシアに行かなくてはいけなくなった」と逢った瞬間言われたが、「いや、どうも君ではないらしい。自分でも誰かわからないが、逢わなくてはいけない人がどうやらインドネシアにいるようだ」と語ったという。

彼女とのおしゃべりから、いままでバラバラになっていたいろんなことが、少しずつ、つながっていっていることをはっきりと感じた。
彼女と話しながら、お互い、鳥肌がたつような空気を何度も何度も感じた。
そして、電話でちょっとお話しただけだが、この男性の声を聞いた瞬間、耳元になんとも言えないあたたかさ、おだやかさを感じた。

明日、いろんな謎が解けるような気がする。

たくさんの方から、いろんなメールをいただいています。でも、今は、上手にお返事が書けない状態です。ごめんなさい。
でも、確実に私の「問題」は、解決に向かっていると思います。
ご心配おかけしてごめんなさい。そして、ありがとう。
  

Posted by Ruri at 22:07その他いろいろ

2008年01月13日

ムーンストーン

以前、スリランカを旅した時のこと。滞在したホテルのスタッフから、かわいらしい指輪をもらった。彼がデザインしたという、シンプルだが、とても魅力的な指輪だった。真ん中に小さな石がはめ込んであった。白い半透明のその石は、光の加減で青く光ってみえる。初めてみるムーンストーンは、とても神秘的で、チャーミングだった。

聞くと、滞在していたヒッカドゥアからトゥクトゥクと呼ばれる三輪車で、40分くらいのところに、スリランカ唯一、ムーンストーンがとれる部落があるという。さっそくその部落を訪ねてみた。
宝石の採掘現場を見るのは初めてだった。なんていうか、それは。文字通り「宝探し」のような行程であった。地下深く掘った井戸のようなものから、せっせと、どろを汲み上げ、その中から、原石を探すのである。1週間くらい、1個もみつからないこともあるという。10人くらいの男性が、井戸を囲んで働いていた。

長い間、机の引き出しの奥に眠っていた、ムーンストーンを引っ張り出してみた。

それは、相変わらず、電灯の光の下でも魅惑的な青い色を放っている。いくらで買ったか忘れてしまったけれど、大小合わせて10個くらいのムーンストーンと、キャッツアイ、アクアマリンなどを購入。石の価値など全く解らなかったから、そうとうぼられたと思う。
宝石なんか興味なかったけれど、そういう場所に行くと、なんとなく、その気になってしまうものかもしれない。
実際、何年も忘れられて、机の中に眠っていた石達である。

スリランカの友人からいただいた指輪は、わけあって、帰国の際に、お返しした。その彼のデザインの指輪が忘れられずに、以前、バリでオーダーして、つくってもらったが、オリジナルの清楚さが全く感じられない、別ものになってしまった。その指輪も、サーフィンの時にはずしたりしているうちに、いつの間にかなくしてしまった。

満月の夜に、ムーンストーンを口に含んで、月に願い事をすると、かなうという。

久しぶりにみるムーンストーンのスカイブルーの魅惑的な輝きに、やっぱり、この石は、不思議な石だな〜と思う。意地悪な友人が、「固まったレジンにしか見えない」と笑っていたのを思い出した。確かに、それは、できそこないのプラスチックのように半透明でしかもとても軽い。

海を包み込んだような石の向こう側に未来が見えてきたらいいのにな。
  

Posted by Ruri at 23:39その他いろいろ

2008年01月11日

インドネシア・マジック

インドネシアには、いろんなマジックが蔓延していると思う。
ローカルテレビのゴールデンタイムには、どこのチャンネルもおどろおどろしい、オカルトもどきのドラマが目白押しである。
日本の30年前くらいに騒がれた「一億総白痴化」じゃないけれど、こんなもん見てたら、普通の人でも、頭がどうにかなるよな〜といった感じである。

外国人ツーリストがよくかかるのが、いわゆるぼったくり系のマジック。私も先日、スンバワに言った際に、見事にやられた。2年もインドネシアに住んでいて、あっさりやられた。後で冷静になって考えてみると、ひっかかった自分が信じられないくらいである。ちょっとした気のゆるみとも言えるが、不可抗力のインドネシア・マジックとも言える。
だいたい、騙されたり、ぼったくられた人は、後で考えると、なんで〜ということが多いんじゃないかと思う。普通だったら、絶対ひっかからないようなことに、あっさりひっかかったりしちゃう。「旅」の気のゆるみもあるかもしれないけれど。それにしても、バリではトランプ賭博とか、○×賭博とか??かなり日本人が被害にあっているらしい。

バリでもロンボクでも、ローカルが、「ブラックマジックにかけられた」と日常茶飯事的に騒いでいる。
外国人には、かからないと言うが、そうでもないらしい。
突然、気が狂ったようにわめき出したとか、命の代わりに財布を盗まれただけで済んだとか。結局、やむなく日本に帰国した友達もいる。バリ在住の日本人の友人の体験談である。

全ては、ローカルの「嫉妬」から発生している「マジック」である。そういうものが容易に蔓延できる地場の強さと嫉妬(日本人が想像する嫉妬の100倍くらい強烈なもの)の強さがここインドネシアには、確実に土着していると思える。

また、日本人女性がローカルと恋に落ちるのも、マジックのひとつじゃないかと思う。だいたい80%くらいの女性客が、マジックにかかっているように思える。カップルで来られる日本人男性は、要注意である。「次は、女の子同士できます〜」と、笑って手を振るその姿に、ああ、また、かかっちゃったのね〜と苦悩する。非常に危険であるから、これだけは、絶対かからないようにしようと移住前に誓っていたが、結局私もかかった手前、他の女性ゲストの気持ちは、痛い程よく解る。そして、大半がピュアーで、美しいだけに、余計に胸が痛むのである。バリのジゴロ的な関係だったら、別にいい。需要と供給のバランスが取れただけのことである。そうじゃないから、マジックなのである。

バリの友人の家の前に、こぎれいなVillaがあった。すごいね〜と言ったら、かわいそうな話しだよ・・・と彼が語った。

日本人オーナーのそのVillaは、オーナーが信頼したバリニーズによって、かなり完璧に完成した。オーナーも大満足だったらしい。そして、予定通り完成した明かしのサインと、ある書類にサインを求められた。はいはい、と満足げにサインしたそのインドネシア語で書かれた書類には、全ての権利をこのバリニーズに寄贈するという内容だったという。翌朝未明警察が踏み込み、このオーナーは、身ぐるみはがされ追い出されたという。オーナーの無念さを思うと、胸が苦しくなる。

これも、マジックのひとつと私的には、感じる。
正常な判断ができなくなり、うっかり「サイン」してしまうのである。そういう話しは、インドネシアには、五万とある。もちろん、それは、インドネシアだけじゃなく、日本でも、インドでも、アメリカでもあることかもしれないけれど。

最近の「自分の理解を越えた不調」にかかったかな・・という気もしている。かかったらどうするか。お祓いしてもらうしかないのである。

インドネシアでビジネスを継続している外国人は、超人であり、奇跡である・・・と、最近、つくづく思う。多分、この手のマジックにまどわされない人であったり、マジックを上手に利用できる人だけが、ここでの成功を手に入れられるような気がしてならない。

  

Posted by Ruri at 13:58その他いろいろ

2008年01月08日

1年のおさらい

自宅療養に入ってから、経理関係の仕事以外は、一切、スタッフに任せている。

もともと、「Lakuen」は、ゲストとローカル(スタッフ)の触れ合い?を大事にしたいと思ってきた。(まぁ、自分が楽したい・・・という下心?もあったが。)

せっかくインドネシアの離島のさらなる僻地まで旅してきているのである。そして「海外旅行」で何を感じるかというと、やっぱり、ローカルとのコミュニケーションから、ああ、異国にきたんだな〜となるものだと思う。もちろん、手つかずの自然とか、未知の波とか、そういうものもサーフトリップの魅力だけれど、やっぱり、何より記憶に焼き付くのは、ローカルの笑顔だったり、ぼったくり??だったりするものだと思う。そして、人は、旅から何かを学んだり感じたりするんじゃないかと思う。だからこそまた、旅に出たくなる。

そんな訳で、以前から、私は基本的に、チェックインやチェックアウトの時に、ゲストと軽く挨拶したり、お食事の際に、ここでの暮らしや危険情報?などについて、ちょっとおしゃべりする程度にとどめていた。
後は、基本的にスタッフと遊んでください〜というスタイルでやってきた。

通常、ホテルというのは、ゲストが快適な時間を過ごせるように、お部屋を綺麗にしたり、環境を整備したりするのが任務と思う。よく、わずか5棟のバンガローにスタッフ20名は、多すぎると言われる。確かにその人数は、おおいに経営を圧迫している。
が、そこには、ガイドも常勤スタッフとして含まれているのである。
そして、このガイドが、よりゲストと密接に過ごすことにより、この小さな宿屋が、また帰ってきたくなる「ホーム」となっていることは、事実であるような気がする。

オープンしたての頃は、ガイドの認識が甘く、ゲストとの約束の時間に平気で遅れたり、自分たちばかり、波に乗ったりと、目に余る行為が続き、それについて、ずいぶん胃が痛くなった。
また、スタッフは、何かトラブルが起こると、「知らない」「解らない」「できない」の一言で片付けようとする。これにもそうとうに胃が痛くなった。

この1年で、ずいぶん、ガイドやスタッフとしての意識も高まり、何かあった時に、自分やスタッフ同士で考えて、対応するというようなことが少し、定着してきたような気がする。
特に今、私が現場のチェックを全くしていないことによって、スタッフ同士で、おぎない、協力し、持続していくことを学んでくれているような気がする。

細かいところを見てしまうと、胃が痛くなるばかりなので、今は、あんまり見ないようにしている。
放っておくと、時間は、かかるけれど、まぁ、いつかは、気づいて補修しているようでもある。

最近、ゲストからも、「Lakuen」のガイドは、他のガイドよりもちゃんと波を譲ってくれるし、心配りがあって、楽しかったですと、お褒めの言葉をたくさんもらえるようになった。

もちろん、まだまだ、えっ??と思うようなローカル的な行動もなきにしもあらずだけれど、それでも、ゲストが許してくれる範囲内にとどまっているようだし、以前と比べたら格段の進歩である。

スタッフに「自覚」を持ってもらうには、「任せて」しまうことが、大事なのかもしれないな〜と改めて思ったりもした。
が、インドネシアの常で、「任せて」しまうと、それはそれで、また、いろいろとやっかいな問題も発生してくるのである。すでに、スタッフのちょっとした「ごまかし」も表面化してきている。その辺りの加減が非常に難しい。まぁ、それは、インドネシアに限らず、どこの世界でも起こりうることと思うけれど。

まぁ、でも、ざっと総体的にみて、とりあえず、この1年の経過は、進歩であり、そこそこ成功であったと言えるかもしれない。私の気力の減退をのぞけば・・・である。

さて、どうやって、気力を取り戻すか・・・なのである。

不眠は続き、体の震えもある。精神状態は、まだ、かなり不安定である。
考えることも、日々変動し、過去と未来を行ったり来たりでまとまりがない。
不穏な流れも、清らかな流れも、同時に感じる。
何をどう、選択していくか、とにかく五感に忠実であり、それがまだ、衰えていないことを願うばかりである。

  

Posted by Ruri at 21:48その他いろいろ

2008年01月07日

転職と職歴

自宅療養??に入ってから、いろいろ人生の整理整頓をするために、これまでの道のり?なんかをおさらいしている。

今回、「仕事」が原因で行き詰まっているとも言えるので、これまでの職歴なんかについて、掘り下げてみた。
(本来ならば、精神科医とか、専門のカウンセラーなんかを訪ねるべきなのかもしれないが、そういうところは、ここにはないし〜日本人の私にとってという意味で。仮に日本に住んでいたとしても、病院嫌いであり、なおかつ根が貧乏性なので、きっと、行かないだろうけど。)

前にもちょっと書いたが、27歳で沖縄でガラスの修行を始めるまでに、ざっと数えて40〜50回くらい転職した。(今となっては、全てを思い出すこともできないくらいだけれど。)

ガラスで独立し、雑誌の取材を受けた時に、そんなようなことを語った記憶がある。(確か記事には、「40回の転職でやっと手にした天職」とかいうコピーがついていたような気がする。今思うと、なかなか笑える?コピーである。)

その記事を読んで、たまたま近所に住んでいた女性が、「うちの弟もそうなんです。何か一言、言って下さい」とやってきた。
ん〜と唸ってしまった。仕事が長続きせず、転職を繰り返すという「行為」は、同じでも、その「内容」は、人によって、かなりの違いがあると思う。
そして、一目で、その男の子の「内容」は、私のそれとは、違うと察した。

仕事が長続きしない若い人たちが増えているらしい。最近の日本のことは、あんまり知らないけれど、これだけ多様化した暮らしの中で、終身雇用なんて言葉は、きっと化石と化していることだろう。もちろん、私にもそんな意識は、子供の頃からなかった。

私の場合の転職とその「内容」について、ちょっと吟味してみた。

人は、転職する際、だいたい似たような分野に転職するものだと思う。が、私の場合は、そうではなかった。
40回くらい転職したが、正式には、40職種くらい、変わった・・・と言えると思う。わずか10年の間に・・・である。我ながら、そうとうにタフだったな〜と懐かしく思う。が、もちろん、その時々は、悩み、苦しみ、ふがいない自分を嘆いていた。そして、履歴書を書く度に、ああ、こんな風に私はこれからの人生、何度履歴書を書き直し続けるのだろう〜と嘆いた。

面接で落ちたのは、1度だけである。高校生の時に、新しくできた「イタリアントマト」という全国チェーンのレストランのアルバイト募集に落ちた。後日、その町に初めて登場したその店の前を通って、落とした面接員は、正解だったと思った。どう考えても、そこは、私には、不似合いな場所だった。

私は、仕事探しの名人だとも思う。

昔からそうだったが、突然、ある土地に興味が湧く。するとそこに住みたくなる。旅行で訪れるだけでは、満足できない性質であった。
で、つてもあてもなく、とりあえずその土地にいくと、必ずといっていい程、その土地らしい、仕事に巡りあえたのだった。

19歳の冬。突然、北海道の流氷が見たくなった。ある深い理由からである。
で、網走の駅で、さて、どうやって流氷を見に行こうかと思案していたところに、一人の男性が現れた。どんな理由か忘れたけれど、彼は、たまたま休暇で、網走に帰っていて、流氷が見たいと告げると、車で案内してくれた。あげくに美味しいラーメンまでごちそうしてくれた。

子供の頃から、流氷が鳴く声を聞いて育ってきたよ・・・と、彼は語った。

念願の流氷は、すでに大地と一体化し、ふ〜んこれが、流氷なんだ〜といった印象だったような気がする。それよりも、深い雪に覆われたこの下に大地があることの方が不思議だった。その大地を見たいと思った。
そして、いつものように??求人情報誌を買い求め、仕事を探した。
どうせなら、北海道らしい仕事がしたいな〜と思っていたら、北海道営競馬・厩務員募集という記事が目に留まった。経験不要ともあった。
さっそくそこに電話をすると、とりあえず、来いという。残金を計算すると、そこに書かれている「静内」という町に行くだけで、終わってしまいそうな金額だった。(と、これまた今思い出したが、この流氷資金、持ち金だけじゃ足りなくて、中学時代のクラスメートに1万円借りて行ったのだった。思えば私はいつも貧乏だったのだ。そして真冬の北海道で、ろくに食べるお金もなく、リンゴをかじって飢えをしのいでいたことまで、ついでに思い出した。タフだったな〜。)

で、本題に戻る。

言われた通りに、静内の駅で待っていると、巨大な真っ赤な車が止まった。(後日、それは、リンカーンだと知った)
そして、その車からハンチング帽をかぶった小柄な男性が現れ、私の名を呼んだ。調教師のY氏だった。人なつこい、懐かしい気持ちになる、暖かい笑顔だった。
そんな風にして、私の北海道生活が始まった。

まだ薄暗い早朝、馬を厩舎から出し、放牧地に連れて行く。厩舎を掃除し、午後には、また、馬を放牧地から連れて帰り、飼い葉を与える毎日。シーズンには、北海道内の競馬場を馬と共に、馬運車とリンカーンやサンダーバードといった車を連ねてどさまわり?するジプシーのような生活。(調教師やジョッキーは、なぜかアメ車が大好きだった。彼ら曰く、馬に蹴飛ばされても頑丈だから・・・であった。そして、いずれの車もかなりの年式だった。北海道の大地をそれら年期の入った車で移動していくのは、60年代のアメリカ映画のワンシーンみたいで、本当に楽しかった。)

そういえば、子供の頃、動物園の飼育係になりたかったんだよな〜と、まだ薄暗い朝もやの中、がらがらと厩舎の扉を開けながら、ああ、夢のような生活だなぁ〜と感慨にふけった記憶がある。
それは、確かに夢のような生活であった。

そして、ワンシーズンを終え、親子のように暮らしてきた、Y氏に別れを告げた。「この1年、本当に楽しかったし、満足しています。でも、多分、他にやらなくてはいけないことがあるような気がするんです。」
「そうだな。るーはまだ、若いし、いろんな可能性があるだろう。いつでも帰ってきていいぞ。」

当時つきあっていた、ジョッキー見習いのIが、苫小牧まで、見送ってくれた。
「ホントにお前、帰るんだな」
「うん」
「Iのことは、ホントに好きだったよ。ありがとう。でも、それとこれとは、違うことなんだと思う」
「解るような気がするよ」

とま〜こまいはつ〜せんだいいきフェリ〜なんて誰かの歌詞そのもののような別れだった。

☆ 西風も強いが、サイズアップ。カメも割れている模様。次のスエルは、13日の予報。
  

Posted by Ruri at 14:24回想録

2008年01月06日

今後の予定

昨年11月、東京でレストラン等、数店舗を経営されている男性が滞在された。

30代半ばでサーフィンを始め、それ以来、サーフパラダイスを探し続けていたが、多忙などを理由にしばらくその夢を忘れていた、もしくは、先送りにしていた。そこへ偶然たどりついたあるブログ(このブログ)に心奪われ、読破し、再びサーフパラダイスへの夢に火がついたという。
そして、なんとか仕事の都合をつけ、11月にそのブログに書かれていた「パラダイス」へと向かった、というのが、彼の語るおおまかな流れだった。

その頃、私は、すでに「オーナーとしての限界」をかなり自覚はしていた。

が、その男性と、「仮説」として、共同経営や経営参入について話しながら、まぁ、確かにそれは、素晴らしい話しだが、でも、どうかな・・・というような心境であった。

私は誰かとパートナーシップを組めるような人間ではないんじゃないかと思う。
また、数年前、バリで某オーストラリア人、バリニーズと組んであるビジネスを立ち上げた際、結局そのオージーに騙され、金銭的にも精神的にもそうとうなダメージを受けた苦い経験がある。

普通の人にとっても、他人とパートナーシップを継続するというのは、それなりに難しいことだと思う。人生のパートナーさえ持たず、いままで一人で気楽に生きてきた私には、とうていできそうにない。
相手が日本人であるだけに、何かの折りにこじれたら、今までのような外国人相手の問題よりさらにきつくなるのは、目にみえている。
というようなことを考えると、二の足を踏んでいた。

が、そうこうするうちに事態は、ますます悪化し、私の気力も体力も限界に達しつつある。打開策の一つとして「経営参入」を受け入れる方向で話しを進めている。話しがまとまれば、3月からその方が常駐され、マネージメント業務全般を指揮されることになると思う。

まぁ、人生、どこでどう転ぶかわからない。時に、流れに身を任し、漂うことも大事と思う。(というか、思えば、それなりに努力したオーストラリアの永住権が取れなくなった時以来、自分の意思というよりは、なんとなく、目に見えない「何か」に背中を押されるように、流れ流れてここに至ったような感じもするけれど。)

私の意識は、今、ちょっと別のところに浮遊しているような気がする。
もちろん、今後の「Lakuen」について、真剣に考えなければいけない時期ではあるのだけれど、どうも、そのことについて考えると、頭が真っ白になって、具体的ななにものも浮かんでこない。

今の私の頭に浮かんでくるのは、過去のなんてことない記憶の断片ばかりである。が、それらが、少しずつ、つながっていっている感触がある。
小さい頃、思い描いていた夢、現実になった夢、まだ、かなっていない夢。
そういえば、あとひとつだけ、あった。忘れていた「夢」。
もしかしたら、そこに向かうべき時なのかもしれない。

☆ かなり小さめ模様。インサイドがかすかに割れているのが、窓から見えた。

  

Posted by Ruri at 19:10その他いろいろ

2008年01月05日

明けましてめでとうございます。

いろいろあった年末年始。

なんというか、一体振り子は、どこまで振り切れば気が済むの〜といった半ば諦めの境地。振り切りすぎて、紐が延びきって、もう、もどんないんじゃないの〜ってくらいだった。
が、でも、もしかしたら、振り切ったのかも、しれない。
そう願いたい。

年明けそうそう、暗い話し??で恐縮だが、暮れに、過呼吸というものになった。
半年くらい前から、精神状態が良くないな〜と、自覚はしていた。で、1ヶ月くらい前から、息が苦しくなることがよくあった。上手く表現できないのだが、文字通り、上手に呼吸ができなくなり、息が苦しくなるのだ。

その日も何度か息が苦しくなり、ちょっと横になったりしていた時に、スタッフが部屋に来る気配がしたので、起き上がり、指示を出した直後、また、激しく息が苦しくなり、立っていられずにベッドに横になった。
が、横になっても苦しくて息が上手にできない。下半身が麻酔にかかったみたいに麻痺して、ずん!と重くなり、ベッドにのめり込んでいきそうな感覚に襲われた。息は、ますます苦しくなる。横になっている姿勢がよけい呼吸困難になっているようで、ベッドに座るよう体を動かした。が、体が上手く動かない。なんとか座った時には、麻痺と痙攣は、両手にまで及んでいた。指が硬直して動かない。声も上手く出ない。目もあけられず、顔面もぴくぴくと引きつり、麻痺が首におよび、窒息しそうになった。声を振り絞り、隣の部屋にいたスタッフの女の子にリピーターで、仲良しの女性Rさんを呼んできて〜とかろうじて告げた直後、気を失いそうになった。彼女が来たら、遺言を言おうと思った。が、手短かに言い表せる遺言がない。ああ、こういう時のために、ちゃんと書いておけば良かった。どうしよう・・・と、考えていたら、とりあえず、意識は、失わないで済んだ。へたに遺言状なんて書いていたら、ホントに息が止まっていたかもしれない。心残りがあるというのは、死にそうな場面で役に立つ。15年くらい前にもそういうことがあったっけ。(まぁ、後で調べたら過呼吸で死ぬ事はないらしいけど。)

で、Rさんに、手をさすってもらい、吸って、はいて〜と声をかけてもらいながら、少しずつ、楽になっていった。時に泣いたり、わけわかんないことをわめいたり、そうとうにやばい状態だった。
どのくらいそうしていたかは、覚えていないが、やがて体の麻痺も終わり、まあまあ普通に話せ、動けるようになった。

もともと病気とかの知識に疎い私には、過呼吸という言葉は聞いたことはあったけれど、実際、何がどうなのかなど全く解らなかった。「家庭医学の本」を見ると、呼吸が増えて、炭酸ガスを吐き出し過ぎるため起こる現象で、紙袋などを口にあて、吐き出した炭酸ガスの多い空気を再び吸い込めば治るとあった。あれ、ネットで調べた時は、二酸化炭素がどうのこうのとあったような気もするけれど・・・。

まぁ、いずれにしても、普段意識しないでやっている「呼吸」がこんなに難しいものだと初めて知った。

「病は気から」というが、本当にそうである。正直言うと、いろんなトラブルが続いて、「やってらんないよ〜いっそ倒れたら楽なのに」と思ったら、ホントに倒れた。でも、倒れてみたら、結局仕事がたまりよけいに辛くなるだけなので、もう倒れるようなことはないと思う。

いずれにしても、精神状態は、かなりよろしくないと思われるので、非常に申し訳ないが、ゲストにも挨拶をしていない。事務処理などのみこなしながら、基本的な運営は、スタッフに任せて、自宅療養を続けている。

昔からそうだったが、本当に行き詰まった時に、す〜っと次の何かが降ってくる。そんな風に綱渡りみたいに、生きてきた。

倒れるまでは、かなりきつかったけど、倒れて、「私、びょ〜きだから、あとはよろしく〜」と、開き直って、自分のペースで自分のリズムを取り戻すようにしたら、ずいぶん楽になった。もう少しで、次の何かが降ってくるような気配がしている。もう少し、ホントあともう少し。(実は、ちょっと降ってきた。まだ、漠然としてるけど。)

ブログ更新できなくて、ごめんなさい。いっぱいメールいただいたけど、なんだか今お返事書くと暗いメールになりそうなので。(実際、ここ数週間、かなり暗いメールを送ってしまってもいた。)

なんとなく、ちょっと先が見えてきたので、大丈夫と思う。(ご心配おかけして、ごめんなさい。)

トントントンと、何かが扉をノックしている音が聞こえるような気がする。

PS 沖縄のもがさん。すぐにお返事したのですが、アドレスが間違っていたようで、戻ってきてしまいました。もう一度、メールください。

☆ 年末年始とかなり悪天候の風と雨。波は、元旦にかなり上がって、カメも久しぶりに割れた模様。何やら日本人でかなり混み合っているらしい。今日から向こう1週間、下がり傾向だが、風もおさまりそうなので、面は、整いそう??

  

Posted by Ruri at 14:58その他いろいろ