2005年11月30日
インドネシアの道路交通法

☆ チドモ(馬車)で市場にお買い物!!
バリもそうだが、ここロンボクのドライバーもやたらとクラクションを鳴らす。
バイクや車を追い越すときはもちろん、道を歩いてる歩行者や牛にも、いちいち鳴らす。部落を通り過ぎる時なども、がんがん鳴らす。
きっと、日本でこれやったら、いつか逆上されて、刺されかねない。
そしたら、実はこれ、インドネシアのルールらしい。
最近知った。
事故があって、まっさきにポリスが運転手に聞くのは、「クラクション鳴らしたか??」だという。
で、もし鳴らしてなかったら、全面的に運転手の責任になるらしい。
知らなかった。
他にもちょっと違うルールがある。
対向車が来たら、右のウィンカーを点滅させるのだ。
理由は、すれ違うときに、スピードを落として、「双方気をつけましょう!!」という意味と、また、後続車に対向車がいるから、「追い越し禁止!!」のサインでもあるらしい。
確かにここ、ロンボクの道はかなり細いので、多少スピードを落とさないとすれ違う時、ちょっと怖い。
このサインは、慣れるとなかなか、便利だ。
でも、はじめは、一体どこで、右折するのかなぁ??と、しょっちゅうウィンカー出してる前の車を不審に思ったものだった。
それから赤信号でも、左折はオッケーで、信号は、直進のためだけらしい。
これも最近知った。
ちなみに、ロンボクで制限速度の看板を見た事ない。
友達に聞いても、さて、何キロかなぁ??って感じ。
まぁ、道幅狭いし、うねうねしてるし、小さな部落があちこちにあったりするから、スピード出したくても、出せないような道路ばっかりだけどね。
ちょっと話ずれるけど、オーストラリアの制限速度の看板はすごかった。カーブなどにもいちいち細かく、表示されていた。で、その制限速度の大小で、そのカーブの大きさが解ったりする程。
でも、いずれもかなり大きめというか速めの表示。私にはその制限速度では、曲がれないことが多かった。ついでに、ハイウェー(無料で、日本のバイパスのような感じ。)の制限速度は、130キロまであった。私のおんぼろバンでは、100キロが限界。いつもいつもあおられて、怖い思いをしていた。
オーストラリアは、全体的なスピードが速いので、死亡事故も多い。なので、最近、この制限速度の見直しが騒がれている。私も同感である。
距離があるから、スピードが必要な気持ちも解るけど・・・ね。
ここロンボクでは、あおられることなく、のんびりゆっくり、道を横切るヤギやバッファローに気をつけながら、時々、チドモを追い抜かし、私にとっては、快適な運転事情。まぁ、うちから30分までが、私の運転可能エリアなのだけど・・・ね。
2005年11月29日
印刷屋さん

☆エラそうな水牛(本文とは全く関係ありません。)
出来上がったロゴや名刺のデザインを印刷所に持っていくために、昨日、一日がかりで、また、マタランに行った。
まずは、現場監督のカリアディが聞きあてた「マタランで一番大きい」という印刷所に行った。まぁ、見た感じ確かに大きそうではあったけど、どうも古くさい。案の定、Free Hand でつくった原稿が、ソフトがないため、開くことができなかった。
嫌な予感がした。
で、もう一軒「看板見た記憶がある。」とカリアディが言うので、別の印刷所に行ってみた。
これは、もっとひどかった。
薄暗い4畳くらいの部屋で、小さなガリ版印刷機のようなものを数名が手で回している。なんだか、小学校時代の学校新聞の印刷風景のようだった。
見本で見せてもらったカラー印刷も、うーん・・・とうなってしまうような仕上がりだった。もちろん、Free Hand は、なかった。
予感が的中したような気がした。
ここ、ロンボクで、まともな印刷を期待できるとは、実は正直思っていなかった。
バリに原稿送らないとだめかもなぁ・・・半分諦めていた。
で、もう一軒、教えてもらった印刷所では、コーラルなんとかって、ソフトならある・・・という。で、そのコーラルなんとかに変換するために、近くのパソコン屋に行ってみた。変換はできなかったけど、いい印刷所があるよと、紹介してくれた。
わずかな希望を持って、そこを訪ねた。でも、言われたとこに看板はない。近くの人に聞いたら、旅行会社の二階だ・・・という。小綺麗なビルだったけど、看板もないし・・・また、だめかもなぁ・・・って思ったら、ここは大当たりだった。
若くてセンスの良い恰好をしたデザイナーが数名働いていて、ちょっと気に入ってなかったロゴの花の部分も速攻直してくれた。
オフィスの中は、ロンボクとは思えないくらい、洗練されていたし、見本のカラー印刷も問題ない仕上がり。やるじゃん、ロンボク。
フルカラーの名刺 100枚で450円。
フルカラーのポストカード 1000枚で15000円。
フルカラーステッカーは耐水性で、1m2 (100枚くらい)2000円。
安いなぁ。
もともと、印刷物とか大好きな私。
これからここで、いろいろつくっていけるぅ・・・と、かなりご機嫌。
ちなみにTシャツは、Tシャツ込みで550円くらいとのこと。
25枚から受付というのもありがたい。
うちから車で1時間半とちょっと遠いのが難点だけど、メールのやりとりで、デザインとかも相談していけるという。素晴らしい!!!
できあがりは、一週間後。楽しみだなぁ。
Posted by Ruri at
17:15
│ゲストハウスの進行状況
2005年11月26日
で、昨日の続き

One of an avarage day @ inside point
今回、久しぶりに、初心者の女の子にくっついて、教えるまねごとやってみたけど、ホント、女の子にとって、とにかくパドルがきつい。
ゆみちゃんも何度も、板から降りちゃって、ビート板のように板につかまって、足をばたばたさせていた。絶対、パドルの方が速いのだけれど、慣れてないからその姿勢が辛かったり、なんとなく、足でばたばたやる方が速いような気がしてしまうのだろう。
私は初めから、ショートボードだったので、比較的板の取り回しは、楽に慣れて、足よりは腕の方が強かったので、パドルもそれほど苦ではなかった。
波に乗るとかそういう以前に、海の上をサーフボードという小さな板に乗っかって、パドルしながら、ふわふわと浮いてる感覚がものすごく気持ち良かった。
で、くるぶしくらいの白いさざ波が立っているカレントもない小さな湾の中などで、せっせと1人でパドルの練習をしたものだった。
初めて立ったのは、サーフィン始めて1ヶ月くらいだった。沖縄の東海岸。天仁屋浜。ほんの5秒くらいだったと思うのだけれど、なんだか、永遠な感じがした。
海の中で嬉しくて嬉しくて、涙が溢れてきて、一人でやったぁ!!とか、おたけびをあげていた。35歳の夏だった。
正直言って、自分が立てるようになるとは思っていなかった。
運動神経は、多分、中の中くらい。高校卒業以来、スポーツらしいことは一切やっていない。
海は、大好きだったけど、水泳も高校時代に25メートル平泳ぎができたくらいで、足の届かないところまでいったことはなかった。
でも、サーフボードに乗ってだと、全然怖くなくって、どんどんパドルで沖まで出れて、ちょっと離れたところから、みんなが波に乗っていくのや波が割れていくのを見てるだけで気持ち良かった。
でも、立てるようになってからは、もっともっと・・・って気持ちが強くなっていった。
沖縄は、全てのポイントがリーフ・ブレイクで、満潮前後数時間しかサーフィンできない。それ以外は、リーフがむき出しになるくらい浅い。
なので、サーファー人口はそれほど多くはないけれど、1日の限られた時間しかできないので、1カ所にサーファーが集まり、それなりの混雑がある。
しかも、リーフのポイントブレイクなので、限られた場所しか割れない。なので、ビギナーにはまず、波がまわってこない。
初心者にはかなり厳しい環境だった。
波は、ほれほれ、綺麗で暖かい水、コアなサーファーには素晴らしい環境でもあるのだけれど、丸高印の初心者の私にはかなりきつい。歳も歳だし、私には限られた時間しか、残ってないのだ。ここにいたら、一生、そこそこサーファーにもなれない!! もっと、サーフィンしたい。生活の一部みたいに、海の近くに暮らしたい。もう、やることやったし、残りの人生をサーフィンのことだけ考えて生きたい!!!!
仕事なんて、なんでもいい。スーパーのレジ打ちとか、ホテルのベットメイクとか、なんでもいいから、食べていけるくらいの仕事が手に入れられて、海のそばに暮らせれば、それで幸せ!! と、心から思った。そして、オーストラリアに渡ったのだった。
で、オーストラリア行きを決めたあと、実は私は、水泳教室に通い始めたのだった。サーフィン始めて約1年。でも、まだ泳ぎには自信がなかった。海外でのサーフィンでなんかあったら、自分で自分の身を守るしかない!! とにかく、そこそこ泳げるようにならなくっちゃ。
すでに、パドルでかなりの筋肉がついていた私に、教室のみんなに、「いい体してるねぇ。スボーツ何かやってるの??」と、聞かれ、サーフィンです・・と答えるのがちょっと恥ずかしかった。
サーファーのくせに、水泳教室に通ってるなんて、大きな声じゃ言えない。
結局3ヶ月弱しか通えなかったので、そんなに泳ぎも上達できなかった。
なので、今でもそんなに得意ではない。まぁ、日頃のパドルの成果で、海でだったら、500メートルくらいなら泳げるかもしれないけど・・・試してないから解んない。
沖縄は、ポイントブレイクなので、波の割れないところを迂回すると、湖のようになめらかな水面をすいすいとパドルしていくだけで、楽にポイントに行けたりする。なので、ダックダイブ(大きな波が来たら、波の下にもぐって波をよける技法。日本では、ドルフィンスルーとも呼ばれている。)は、それほど必要なかった。
でも、オーストラリアは、ビーチブレイクがほとんどなので、まずはこのダイブが上手にできないことには、ポイントまで行けない。
沖縄での1年間は、私にとっては、体作りのようなものだったので、オーストラリアからが、いよいよ本格的にサーフィン開始!!って感じ。で、初めての経験のビーチブレイクで、このダイブの練習を余儀なくされたのだった。
なんだか、また、いちからやり直しな気分。
なので、オーストラリアでそこそこ立てて横にいけるようになるまで、また1年くらいかかったような気がする。
でも、そういう地道な日々のお陰で、今がある。
この間、海であったカナダ人のビギナーの女の子が「いつかあなたのように、乗れるようになりたい。」と言ってくれた。
涙が出る程、嬉しかった。
そうなのだ。オーストラリアで、私もいつも、目の前をスパッとスプレー飛ばして駆け抜けていくサーファーガールズを見つめながら、いつか、彼女達のようになりたい・・・と強く、羨ましく思っていたのだ。
まだまだ、自分で納得のいく乗り方できてないけど。人より何倍も時間がかかる分、ゆっくりゆっくり、上達していくしかないけれど。
もっと、上手にかっこよく乗れるようになって、「あのおばちゃん、なかなかやるなぁ。」なんて、言われるようになりたいんだ。それが、今の目標。
2005年11月25日
ロンボクが載ってるよ!!

ロングボードのサーフィン雑誌、“ON THE BOARD” 11月号にここ、ロンボク・グルプックの記事が掲載。
ぜひぜひ、立ち読みでもいいので??時間のある方、見てねぇ。
日本のプロ・ロングボーダー3名のバリ・ロンボクのサーフトリップの記事だよ。
この取材、サンライズ・ワールドの企画。
社長の小室氏とは、スリランカのヒッカドゥアで知り合った。津波後の調査にやってきた小室氏から、唯一ヒッカドゥアに残っていた日本人??ということで、海から上がってきた私に声がかかった。
話の中で、彼がバリにオフィスを持ってることなどから、次はバリで逢いましょう!!となった。その後、スリランカ支援のことなどでも意気投合し、良いおつきあいを続けさせてもらっている。
で、ここロンボクは、これからの可能性をいっぱい秘めた未開の土地でもあるので、いろいろプロモーションしていきましょう!!となって、雑誌での取材という形になったのだった。
この取材の時は、私は、バリでロンボク引っ越しの準備をしている最中で、取材班とは入れ違いだったのだけれど、ここロンボクで彼らをホストした私の友人達からは、後日、とても良い雰囲気だったと報告があった。
記事の中にもあったが、わずか3日間のロンボク滞在ではあったが、クルーみんなが、存分にロンボクの波を楽しみ、この島のメローな雰囲気を味わえたようで何より。
今日、サンライズのバリオフィス、サクラツアーズのゆみちゃんが、仕事兼で、クタまで来た。で、ローカルのみんなが楽しみにしていたこの雑誌を持ってきてくれたのだった。ローカルガイドの写真やコメントがなかったのが残念だが、波や私の滞在している、タストゥラ・ホテルの写真は、なかなか良かった。
この記事を見て、「ロンボク行ってみよう。」って人が1人でも増えたら嬉しいなぁ。
さてさて、サーフィン歴十数回??のゆみちゃん。
ローカルガイド・エドの全面的なお手伝い(ボードごとひっぱって、ポイントまで連れていってあげたり、波が来たら後ろから押してあげたり・・・)で、ロングボードでインサイドに挑戦。
スープという白い割れてしまっている波でだけれど、3本立てた。
最後の一本はかなり長かった。やったね!!
前にも、バリのクタビーチのスープでちょっと立ったことはあったらしいけれど、やっぱり、リーフのインサイドで立てると気分も違うと言っていた。
がんばってもっと練習します!!と、決意も新たに。これまた、Go Go Surfer Girls!!なのだ。
で、この続きはまた明日。
2005年11月24日
カレントの話

私の土地からサーフポイントを見渡すとこーんな風に見える。
写真左奥に小さく白く写っているのが、カメポイント。
ローカル名は、ドンドンなのだけれど、このポイントの正面にある小さな丘が、亀みたいな形をしているので、そういう名前がついた。
ホント、カメみたいで、かわいい。
前にも書いたけど、グルプックの4つのサーフポイントには、小さな舟で渡る。この写真の手前にいっぱい写っている舟がそう。
好きな時に、パドルで自由にポイントに行けないのはどうかとちょっとだけ思ったけれど、この「舟でポイントに行く」というのは、ものすごく楽チンでそして楽しいものでもある。
まず、どんなにサイズがでかくても、アウトに出れない・・・ということがない。
舟で行って、ちゃぷんと水につかれば、もう、ポイントである。
これは、超楽チン。
オーストラリアでは、このアウトに出る!!ってことに、かなり泣かされた。
これは、オーストラリアでサーフィンしたことのある人にしか解らないと思うのだけれど、とにかくカレント(潮の流れ)が強い。半端じゃない。サイズが上がると川のよう。
ワールドクラスの波がたち、コンテストなども開かれるので有名なスナッパーロックス。私の家から、車で10分くらいだったので、よく通ったポイントの一つ。
ここのサイズが頭半を超えると、私なんかは、アウトに出れなくなる。
セットの合間を見て、スナッパーの一番右端の岩の間から、パドル開始。でも、次から次へとやってくる白い波をダックダイブ(水にもぐって波をよける技法)で、かわしていくうちに、気づくと*グリーンマウント、*クーランガッタ、果ては*キラまで流されていく(*それぞれビーチの名前)。その距離約1キロ。時間にして、10分くらい。
で、ダイブとパドルでへとへとになった体と、精神的な屈辱??を抱えて、とぼとぼとビーチを30分くらい歩いて、また、スナッパーからトライするのだ。これを3回くらい繰り返して、ああ、やっぱり、私はまだこの波には、乗れない・・・と悔しさでいっぱいになって、家路に向かうのだった。
なので、ダブルくらいのサイズには、オーストラリアで乗ったことはなかった。
でも、ここグルプックでは、簡単に舟で行けるのだ。で、カレントだってほとんどないし、また、ポイントブレイクなので、割れてるとこをさけてちょっと大回りしていけば、ダブルの波に乗って、また、のんびりポイントにパドルで戻れるのだ。
素晴らしい!!
これこそ、私が追い求めていたもの!!
毎日楽しく、エクセサイズや日課みたいに、サーフィンできる生活!!
そりゃ、がんばってがんばって、たまたま、長いセットの合間にあたって、運良くスナッパーでアウトに出れて、そして、海の中で必死にパドルしている500人くらいのサーファーのなかから、これまた運良く、1本でも乗れたりしたら、おたけびあげちゃうくらい、ハッピーだけれど。
オーストラリアは、波はいいけど、その分、混んでて、全然乗れなくって、ストレスたまることの方が結構多かった。
グルプックにきてからの方が、いっぱい乗れてる。この3ヶ月で、多分オーストラリアの1年分くらいの波に、乗ってるような気がする。
そんな訳で、この楽チン・サーフィンにすっかり慣れてしまった私は、きっと、オーストラリアのカレントには、もう、太刀打ちできないだろうなぁ。
でも、あのカレントを体感できて良かったと思う。
すごいいい経験だった。
この間スリランカのアルガンベイに行った時、あるヨーロッパ人が、今日はカレントが強くてきつかった・・・とか言ってて、私には???な感じだった。
あんなのカレントのうちには入らないのだ。その話を聞いて、オージーと、そうだそうだ!!ゴールドコーストのカレントは、こんなじゃないのだ!!と、妙に盛り上がったことがあった。
そうなのだ!! 私は、ホントのカレントを知っているのだ!!!
それは、まるで川の流れの様に1キロの距離を10分で流れていくようなものなのだ!!
で、悪夢のようなカレントから解放された今、しみじみとグルプックの波に感謝する毎日なのであった。
2005年11月23日
ロゴができたよ!!


☆保存形式間違って、黒バックになってしまったけど。早く見せたかったので、これでお披露目!!
昨日、うちから車で30分の、このあたりではまあまあ大きい町、プラヤのデザイン事務所に行った。現場監督のカリアディの友達でもある。
ロゴのデザインと合わせて、名刺の作製と、もし、金額的・時間的に合えば、年賀状用のポストカードがつくれれば・・・と思ったのだ。
で、やっぱり、プラヤでは白黒の印刷しかできず、フルカラーはマタランか、もしくは、ジャワ(ジャカルタとかのある大きな島)送りになるという。
でも、デザインは、ここでできるというので、とりあえず、私が手描きで書いたロゴ案を見せてみた。
彼は、素早くそのロゴをスキャンし、ハンドフリーを使って、みるみる原稿化していった。
彼の英語は、ほんの少しだったので、はじめは、ここをこうして・・・というコミュニケーションがちょっとちぐはぐだったけど、だんだんとお互いに慣れてきて、すごいいい感じで、デザイン起こしが進んでいった。
で、約2時間。ああでもない、こうでもない・・・と二人でいろいろトライしながら、できあがったロゴ。
完成間近に他の用事から戻ってきた、カリアディと、同じく現場監督のオキが、画面のロゴを見て、「*バグース!!」と第一声。
4人で、もう少し詰めて、いよいよ完成!!!
バックの色とかに合わせて・・・ということで、2パターンのロゴに決定。
大好きなフランジーパニーの花と、サーフボード。このサーフボードは、ちょっと波のイメージも含めて。で、「Lakuen」がサーフボードと波に乗っかって、ゆらゆら揺れてるイメージ。バックをブルーにしたタイプは、遠くからみると、ビック・スマイルみたい。それから、白いサーフボードは、ちょっと月みたい??
月も笑顔も大事だからね。大好きなもの、いっぱいのロゴになって、大満足。
これから、このロゴをもとに、ステッカーとか、Tシャツとかいっぱいつくっていこうね!! 帰りの車の中は、3人で思いっきり、我ら「Lakuen」の具体的な行動計画で絶好調に盛り上がったのだった。
ちなみに、出来上がったデザインのCD 焼き付けを含む全費用は、約900円だった。こーんなの日本でデザイナーに頼んだら、いったいいくらかかるのかなぁ???
ところで、今日の発見。フランジーパニ(プルメリア)は、ここでは何故か「カンボジア」と呼ばれてた。なーんかイメージ違うよなぁ。
*バグース: 多分一番有名なインドネシア語?? 上等!! 最高!! 素晴らしい!! といった意味。
Posted by Ruri at
11:44
│ゲストハウスの進行状況
2005年11月22日
びっくり小包

土曜の午後、私が滞在しているホテルの受付兼、私のバンガローの現場監督のカリアディが、郵便局に私宛の荷物が来てるけど、もう遅いから、月曜に取りに行くよ・・と携帯のSMSにメッセージを送ってよこした。
一体なんのことかいまいち解らなかったのだけれど、今朝、彼はふたつの小包を私の部屋に持って来てくれた。
なんで、郵便物、わざわざ、取りに行かないといけないの?? クタまで、配達してくれないの??
郵便局のあるセンコーまでは、車で15分くらいだ。
しかも、一個に付き7000ルピアの請求。まぁ、80円くらいだから、なんだけど。なんで、追加料金発生するの?? 既に日本でかなりの送料払ってるのにぃ!! と、一応、カリアディに文句??を言ってみた。
彼も、なんで、取りに行かないといけないのか、わかんないって言ってた。郵便物は、普通はちゃんと配達される。でも、何軒かまとまって・・・じゃないと来てくれないって噂もあるけど。
でも、郵便局が、取りにこい!!っていうから・・・と言う。ついでに、請求された二個分14000ルピアも一体、なんの名目なのかいまいち解らない・・・という。
「でも、インドネシアだから・・・。」の一言で、済まされてしまった。
まぁ、確かに。ここは、インドネシアだからなぁ。無事届いただけでも、素晴らしい。
で、この小包。1個は、沖縄の友達ゆきちゃんからで、もう1個は、三重のお客さん(ガラスの)からだった。
超びっくりした。
どちらにも、日本食がいっぱい入っていた。
突然の贈り物にびっくりするやら、ありがたいやら。
荷物に添えられた彼女達からの手紙もなんだかとってもあったかくて、優しくて、うるうる。
送料、すごく高いのに。年も押し迫って、いろいろと忙しい時期だろうに・・・。
勝手に南の島に移り住んで、好き勝手やってる私に、手間ひまかけて、手紙を書いて何がいいかなってスーパーで選んでくれてる姿を想像したら、ホントにホントにありがたかった。
ものすごく嬉しくって、沖縄のみんなの話も聞きたくなって、ゆきちゃんに電話した。スーパーウルトラ電話嫌いの私が、日本に電話するなんて、ホント久しぶり。でも、生の声は、なんだかいいね。
いかにもロンボクらしく、話してる途中で停電。ぶちって切れた。5分後、電気は復活したけど、今度は電話が止まった。やれやれ。
電話は昨日から15時間くらい止まって、さっき復活したばっかりだから、また、今度いつ復活するか解らないので、携帯からかけ直し。これまた、ロンボクだねぇ。
なので、このブログの更新も、一体いつできるやら。
それにしても、贈り物の??食材選びって、その人の個性が出て、なかなか面白いなぁ。
ゆきちゃんの「あぶらみそ」とか、育代さんの「ホルモンたっぷりどて焼き!!」とかね。
いっぱい、いっぱい、ありがとう!!!
2005年11月20日
Go Go Surfer Girls!!

☆ 9月に遊びにきたあきちゃん&ひろちゃん@inside
今日はインターネットの波予報では、かなり小さめだったのだけれど、キャプテンマットから、インサイドもドンドンもいけるよ!!と、SMSのメッセージが届いたので、恒例の日曜朝市での買い物のあと、グルプックに向かった。
スエルの向きが決まったのと、満潮2、3時間前という絶好のコンディションで、インサイドでは、頭くらいの綺麗なライトが割れていた。
んーいい感じ!!
舟は5隻、サーファーは15人くらい。ちょっと多めだったけど、ビギナーも多かったせいで、そんなに混んだ感じはしなかった。
日本人も数名。その中のボディーボードの女の子と、仲良くなった。
神奈川からやってきた、ちかちゃん。なんと、行き帰りのバリ2泊と、ロンボク2泊の4泊6日という強行日程。
それでも、職場のみんなに頭下げて、やっと取れたお休みらしい。
ロンボクは3回目で、今年の3月にも来たという。
グルプックの波は、ホントに女の子に大人気の波。
9月に遊びにきた、私の友達でロングボーダーのあきちゃんも、
「こーんな、大きな波乗ったの初めて。でも、全然怖くない!!」ってすっごく楽しんでいた。
その時は、セットで肩くらいのグルプックではちょっと小さめ。
あきちゃんくらいのレベルだったら、頭半くらいまで、全然オッケーだよって言ったら、えーとかいいながら、でも、トライしてみたそうだった。
彼女もまた、年明けそうそう、遊びにくる予定。
ロンボクの波は、病み付きになるのだ。
あきちゃんからは、目をつぶると、あのグルプックの波がよみがえってくるよぉーとメールが届く。
そうなのだ。私もそうだった。わかるわかる、その気持ち。
なんていうか、とっても心地よくって楽しめる波。ロンボクのなーんにもなさと、波の良さと、ローカルの謙虚で優しい心遣いが、ここを離れた後、じわーっときいてくるのである。
で、ああ、また、行きたいよぉ!!という気持ちにさせるのである。
なんだか、沖縄病みたい。
そんな訳で、ここロンボクは、リピーターがかなり多い。
もう10年以上も前から、毎年来てますよぉ・・・という人。
2ヶ月に一回くらいやってきては、10日くらいステイしていく人もいる。
世界一周してるんですけど、なぜかロンボクには、もう三回も来てます・・・と、旅の途中に何度も帰ってきてる人もいた。
波質の穏やかさも日本人受けするのだろう。
また、ここロンボクの雰囲気が気に入るタイプというのもあるみたいで、比較的メローなサーファーが多い。
オーストラリアのゴールドコーストにはびこっている日本人サーファーとは、明らかに違うタイプだ。
また、バリに通っているサーファー達とも違う。
これは、観察してみるとなかなか、面白い現象。
波質と、サーファーの性格って比例するみたい。
で、今日は、「いかにもロンボク好きなサーファー」ばかりだったので、海の上の雰囲気もすごく良かった。
みんなで、ゴーゴーとかいいながら、順番に乗っていくのは、ものすごく楽しい。
今日は、私も、すごく調子が良くって、自分でもとっても気持ちよくいっぱい乗れた。
ローカルのガブリエルが、「ルリコさん、上手になったね。すっごいはやいよ!!」って、褒めてくれた。
「ほんとぉ??速かったぁ??」
もう、ごきげんである。
ショートボードは、「スピードが命」が信条の私には、速いサーフィンが目標なのだ。
40歳になっちゃったし、もう、上達は、見込めないかなぁ・・・ってちょっと落ち込んでたりもしたけど、最近の調子良さに、また勢いついてきちゃった私。
あきちゃんも、「サーフィン病、重症だよぉ!!」って、嬉しそうに言ってたけど。
5年続けてる私も、ますます、重症。
「Go Go Surfer Girls!!!」なのだ!!!!
2005年11月19日
グルプックの波のこと

友達から借りた写真。アウトサイド。ちょっと今日の波とは雰囲気が違うけど。
ガイドブックなどに載っているサーフポイントは、ロンボク全体で、20カ所くらい。
そのうち、ここ、クタ・エリアから、車で1時間以内に15カ所。その中で、一番コンスタントで、アクセスが簡単なのが、グルプック湾の4つのサーフポイントである。(それぞれのポイントまでは小さな舟で渡る。)
私が一番好きなのは、インサイドと呼ばれるポイントで、満潮・干潮関係なく、1日中、サーフィン可能。かなりコンスタントに割れている。サイズが小さいときは、パーフェクトなAフレーム。(右と左両方割れて、両方乗れる)
サイズが上がると、ライト(岸に向かって右側に割れていく)のみ。頭くらいのサイズまでは、かなりのファンウェーブで、女の子や初心者、技の練習をしてる人とかにもってこい。ダブルくらいまで、私でもいけるくらい、なんというか、乗りやすい波質。
ほれほれ、まきまきの波が好きな人には、かなりもの足りないはず。
私は基本的に、毎日コンスタントに、怪我なく、楽しく、サーフィンしたい派!!なので、ほれほれの波より、長く乗れる優しい波が好き。
で、このインサイド・ポイント、上手くつなぐと途中から急に張ってきて、1本で2度楽しい?? この途中から張ってくる・・・ってのが好きなんだよなぁ。オーストラリア時代から。
で、今日は、かなりサイズが落ちて、さすがのインサイドもひざ波。風もなかったので、満潮を狙ってアウトサイドというポイントに入る事にした。
このアウトサイド。文字通り、湾のほぼ入り口付近のポイントで、結構、風の影響を受けやすいポイント。これから、雨期にかけてが、オフショアになって、シーズンになる。
かなり浅いので、満潮のみサーフィン可能なポイント。
このポイントには、1ヶ月くらい前に、インサイドがフラットの時に、1度だけトライしたことがある。で、しょうもない、腰くらいのサイズで、へんなワイプアウトして、こつんと底のリーフに頭と背中を打ったことがあって、それ以来、敬遠して、入ってない。まぁ、その時は、ホントに小さくて、岩ぎりぎりのとこしか割れてなく、しかもかなり引いてきて浅かったのもあるのだけど。
でも、これから雨期に向けて、このポイントがグルプックのメインポイントになる。なんとか、克服しなくちゃ・・・という訳で、かなり気合いを入れて向かった。
今日は、前回より、サイズがあがっていた。
以前、私の舟のキャプテン、マットが、ここは30人まで、オッケーとか言ってたけど。ホント、そんな感じ。
ぼこぼこあちこちで割れてる。しかも、アウトから順番に4つピークがある。
で、それぞれのピークでも、いろんなとこで割れる。波数もものすごく多い。
今日は、10人くらい入っていたけど、ガラガラな感じ。みんな、順番に好みの波に乗っていく。
で、4つのピーク、それぞれ波質が違う。なんだか、波のたつプールで、誰かがコントロールしてるみたいに、いろんな波が次々と割れていく。
遊園地みたい。
1番外側のアウトは、かなり厚めで富士山みたいに割れる。でも、すごく大きい。今日で、頭半くらいあった。2番目の内側は、ポコンって、ほれていきなりのバレルが楽しめる。2番目外側は、上手くつなぐと3番目、4番目まで乗れる。今日は、サイズが小さめだったので、3番目、4番目は、時々しか割れてなかったけど、それぞれ、ちょっと違った割れ方をしていた。
今日、何本か4番目までつなげた長い波に乗れた。
超楽しかった。途中から張ってくる感じがこれまた私好み。
いいじゃん、ここ!!
前回は、「アウトサイド嫌い〜。一生インサイドだけで乗る〜。」とわめいてたけど。
でも、ローカルによると、今日はまだ、完璧ではないらしい。
ここが良い時は、もっといいらしい。すごい楽しみ。
ついでに、ここは、水の透明度も良くって、底のリーフや魚も見えた。スリランカのヒッカドゥアほどではないけどね。
ヒッカドゥアの透明度と魚の多さは、半端じゃなかった。
沖縄でいう「いらぶちゃ」の1m くらいのが、波待ちしてると、足の下をすり抜けていったりしていた。
やっぱ、綺麗な水でのサーフィンは気持ちいい。
波に乗りながら、ついつい足もとの魚に見とれちゃったりする。
まぁ、リーフが見える分、恐怖感もちょっと大きいけどね。
ちなみにこのポイント、別名おっぱいポイントとも呼ばれてる。
巨大な岩山ふたつが遠くからみるとほんと、おっぱいみたい。(今はやりの爆乳??)
ついでに書くと、他のポイントも、かめ(ドンドン)、子供、東京(インサイド)ポイントと、何故かサブ日本名がついてる。なーんでかなぁ〜。(このなーんでかなぁ〜もなぜかここで流行ってる日本語。)
2005年11月18日
やったぁ、オーブン!!

昨日、私のおうちの素材選びのため、現場監督のカリアディ、設計士のアマンと三人で、マタランに行った。
朝の8時に出て、帰ってきたのは、夜の8時。一日がかり。
バスタブやシンク、タイルや屋根瓦などのショールームに行った。
これってなかなか、難しい。結局、バスルームのタイルは、決められなかった。なんというか、いまいち、イメージが湧かないのである。
でも、バスタブは、すっごくかわいい、オーシャンブルーのマーブルカラー。ちょっと大理石風。便器??(もっとかわいい言い方あったっけ??)もおそろい。
タイルの色を決められなかったのは、そのせいもある。
すでに、色付きのバスタブや便器だと、実際置いてみないと、まわりがどんなカラーがいいのか、イメージできなかった。
それにしても、このバスタブとか、結構高そうだったけど、Mr.アマンは、別に文句を言わなかったから、結構、ボラれてるのかもなぁ。
結局、総額200,000,000RP で、話はついている。日本円で、230万円くらい。まぁ、でも、やっぱ、ローカルも美味しい思いしないとね・・・だし。私も、この値段で、好みのおうちが建てられればいうことないし。
ところで、屋根瓦にも大きな発見。私は、色ばかり、気にしていたのだが、その重ね模様の違いもあった。(みんなーそういうの注意して、見た事ある???)
ここ、ロンボクで一般的なのは、二種類。なみなみが、列になってて、全体的にみると、とたんのなみのように仕上がるタイプ。それから、なみなみが、交互になって、だんだん模様のようになるタイプの二種類。
なるほど。
道中、私は、建ち並ぶ家々の屋根を思いっきり観察。今まで色の違いしか見えなかったけど、重ね模様の違いも解ると、なんだか、楽しい。
普及具合は、なみなみが優勢。で、我が家は、だんだん模様タイプに決定。
もちろん、色は、沖縄のイメージで、赤瓦。シーサーは、どうしようかなぁ。
お昼は、カリアディのチョイス。なかなか、美味しいローカル・レストランだった。
それにしても、ロンボクは、かなり辛い。ロンボクって、インドネシア語で、唐辛子の意味らしく、そのせいかどうかは、解らないけど、とにかく、辛い。とっても美味しい揚げ豆腐と、なす焼き。でも、思いっきりチリソースがかかっている。それらを綺麗に落として食べたけど、それでも火を吹きそう。
ずいぶん、辛いのに慣れたはずだったけど、やっぱり、ローカルの足下にもおよばないなぁ。彼らは、たっぷりチリソースも、ぜーんぜん、平気。
実は、ロンボクは、おいしい豆腐でも、有名。インドネシア語ではターフ。クタあたりでは、木綿豆腐風のしかないけど、マタランでは、日本の絹ごし豆腐みたいな柔らかいのもあるらしい。このレストランの揚げ豆腐も、ふわふわで、超美味しかった。ああ、冷や奴で食べたかったなぁ。(帰りに有名な豆腐屋で買って帰ろうと思ったんだけど、遅くなってしまってた。残念。)
写真は、辛いよぉと泣いてた私に、季節もののランブータン屋で、食後のフルーツを買ってくれた、カリアディとアマン。
ロンボクスタイル!!とかいいながら、みんなで、道ばたで食べたランブータン、超美味しかった。
で、その後、ロンボク最大??のショッピングモールで、思いっきり、ショッピングを楽しんだ私。念願のオーブンもゲット。今までは、オーブントースターで、パンとか焼いていたのだけれど、これで大きなパンも焼ける!!!!!!!!
スーパーマーケットでは、1,000,000RP も使ってしまった。これって、一ヶ月の食費分。はは。マタランに住んでたら、私の家計簿は、ずいぶん違ってくるんだろうな。
嬉しかったのは、玄米とか、ほししいたけとか、新たに発見したこと。
それから、きくらげのようなものとか、かいそうのようなものも発見。
スーパーでの私は、目の色変わってました。きっと。
日々、なーんにもないとこに暮らしていると、日本やオーストラリアで、当たり前にあったものに、異常に感謝して、感動できるから、なんだか、それはそれで、ものすごく得した気分。もともとなくても死ぬもんじゃないしね。一番大事な、暖かい水で年中サーフィンできる環境はある。(これないと、多分、私は死んじゃうはず。)
で、二ヶ月に一回くらいの、お楽しみショッピングモール・ツアーがあって。
改めて、幸せを噛み締めている?? 今。
さてさて、何を焼こうかなぁ。
2005年11月16日
ビジネスとしてのサーフィン

マンボーチーム@"A Frame"サーフショップ(マドラ、左端。マンボー、左から3番目)
日本やオーストラリアで、ビジネスとしてのサーフィンを考えると、なかなか、難しい。
まぁ、オーストラリアは、国民みな、サーファー!!みたいなのりがあるから、サーフボード屋とか、シェーパーとか、リペアとか、そこら中にあって、まぁ、それはそれで、ビジネスになってるけど。
その点、アジアでは、サーフィンは、かなりビジネスになる。
外人サーファー相手の、ガイドや土産屋そして、ゲストハウスなどだ。
バリのクタなどは、30年前には、ヤシの木しか生えていなかった。
それが、いまや、銀座もしくは、歌舞伎町並みの??混雑ぶりである。
なんで、バリ・クタができあがったかっていうと、そこに世界中からサーファーが集まってきたから・・・である。
スリランカのヒッカドゥアも、サーフィンで栄えた町。現在30代半ばのマンボーは、スリランカのサーフィン・ビジネスの先駆者である。
サーフボードのリベアから始めて、今やサーフショップ、ゲスト・ハウス、レストラン、バー、サーフガイド等々。ヒッカドゥアのオフシーズンは、東海岸のアルガンベイでも、ゲスト・ハウス、レストラン、バーを経営している。
子供の頃、サーフィンに夢中になっていたマンボーは、ずいぶんおかあさんに、しかられたという。でも、彼は、サーフィンはビジネスになる・・・と信じ、外人サーファーとの信頼関係を深め、そして、ビジネスを広げていった。
素晴らしい手腕と思う。
でも、彼の成功は、ひとえに彼の人格によるものとも思える。
ホントに、いい奴なのだ。
津波のあと、いちはやく道の整備に乗り出したのは、マンボーチームだった。
倒れた建物や、舟やトラックが道を寸断し、物資の輸送もままならなかったヒッカドゥアのメイン道路。マンボー率いる、若手ローカルサーファーが、酷暑の中、道の整備に尽力をつくし、その姿に、町中の人々も協力。
わずか3日で、メイン道路は、車の通行が可能になったのだった。
あの時の、がれきとほこりにまみれた彼らの神々しい姿は、私の脳裏に鮮明に焼き付いたままだ。
そして、私は、たくさんの人達の協力のもと、マンボーとその仲間二人を今年の7月、バリに招待した。
3年前の爆弾事件から、見事に復活したバリ。そして30年前、ヒッカドゥアと同時期に、サーフィンビジネスが始まったバリの現在の繁栄。その姿を見せたかった。
バリとスリランカって、ちょっと似ていて、でも、かなり違う。
彼らにとっては、なかなかな衝撃だったようだ。
その波、繁栄、バリニーズのしたたかさ、ビジネスのありかた等々。
それらを彼らなりに消化し、今後、どんなヒッカドゥアをつくっていってくれるのか、すごい楽しみである。
で、バリニーズもそうだけど、スリランカのサーファー達も、なかなか、みんな日本語が上手い。
日本語ができると、ビジネスになるのだ。
マンボーが言ってたけど、欧米人は、勝手に楽しんでくれるけど、日本人は、いろいろ、ケアしてあげないといけないらしい。でも、その分、ビジネスになる。
で、これは、ロンボクのローカルが言っていたのだけれど、日本人は、お土産をいつも持ってきてくれるから、大好き!!という。(わかるわかる、その気持ち。)
スリランカやロンボクのローカルサーファーは、日本人がお土産においていってくれたサーフボードで、日々、腕を磨いていくのであった。
今日も、新庄(グルプックのローカルなんだけど、ホント、野球の新庄にそっくり。)が、日本人の友達のお土産で、ニューボードを手に入れたと、グルプック中の噂になっていた。
良かったねぇ。新庄。ちょっと前に板折って、直して乗っていたから、でかい波には、チャージできない・・・って、残念そうにしてたから。
また、これで、次のスエルは、大爆発だね。
で、結論。
ビジネスとして(ガイドや舟のキャプテン)、毎日サーフィンできる、グルプックのローカルは、実は、世界中でかなり幸せで恵まれた、サーファーなんじゃないかなぁ
2005年11月15日
またまた大発見!!

ちょっと前に、隣のホテルのオーナー、ブラジル日系二世のヘンリーさんから、山の上にオージーがやってるカフェがあるよ!!と聞いていた。
行ってみたいなぁ・・・と思ってはいたのだが、ものすごい山の上で、そこまでの道は、半端じゃないくらい急な坂道。
いまいちパワーのない私の Kijang で、一人で運転していく勇気がなかった。
で、つい先日訪ねたばかりという、現場監督のカリアディが、すごい建物だよ!!というので、昨日、設計士と三人で、行ってみた。
すごかった。
ヨーロッパのお城風の石壁。サンタフェ風の、すっきりと、しゃれたデザイン。そして、美しい彫りがほどこされたドア等々。
んー。凝ってるなぁ。
で、カフェになってるオープンスペースの向こうは、絶景のベランダ。
こりゃ、すごい。
写真じゃ、いまいち、迫力ないんだけど、実際は、かなりすごかった。
うぉー!!っって、感じで、パノラマビューが広がる。
高所恐怖症の私は、かなりびびりまくりだったけど。
(ちなみにその後やってきた、日本人サーファーの4人組。彼らも、うおー!!すげぇ!!と、しきりに感嘆していた。で、そのうちの一人が、なんと、このベランダのへりに足を向こうに座って、のんきに写真なんか撮っている。うぉー!!私には、そっちの方が、すごい。見てるだけで、心臓飛び出そうなくらい怖かった。)

カフェの店内の中央に、日本風の座敷間があった。
カリアディは、このスタイルが大好きらしく、いつか自分の家にも、こーんなテーブル欲しい・・・と、しきりに言っていた。
ほんとに、かわいいちゃぶ台??だった。
私も、レストランに座敷間つくりたいと思ってるけど、やっぱ、掘りごたつ式かな。
朝食と日替わりランチなどなど、メニューもなかなか豊富で、クタにこんな洒落た場所があったなんて、大発見。
といっても、オープンしたのは、つい最近らしい。
オーナーの話によると、15年くらい前に土地を買ったらしいのだけど、建築許可とか、営業許可を取るのに、ものすごく時間がかかったという。
そういう、手続きをいっぺんで、全部済ませたカリアディは、その手腕??を私に、アピールしていた。
「はいはい、あなたのおかげです!!!」
海の前の土地が、もはや手にはいらなくなっているこのあたりでは、こんな風に、山の景色の良いところに土地を求めるケースが増えてきているようだ。
もちろん、水道も電気もない。
そういう土地を開拓し、そこにそれぞれの楽園をつくっていく。
なんか、いいなぁ。
私も、がんばろって、思っちゃった。
こんな洒落たカフェがクタにできて、ホントに嬉しい。
お友達が遊びに来たら、連れてこよぉ!!
そういう、とっておきの素敵な空間が、これからもっともっと、ここクタ・エリアに増えていったら、楽しいなぁ。
相乗効果って、大事だもんね。
2005年11月14日
つきぬぅかいしゃ、とぅかみっかぁ〜

13夜の月@Kuta Beach
今日は、設計士との打ち合わせがあったので、そのために、以前撮った写真とか、ビデオとか、眺めてた。
バリやスリランカの建築のデザインで、応用できそうなものがあるかな・・・と思って。
私が、デジタルカメラやビデオを使い出したのは、つい最近で、しかも、撮影してるのは、ほとんどがスリランカの友達ばかり。
彼らがバリに来た時のものだったり、私がスリランカにいたときのものだったり。
ロンボクに引っ越してきて以来、ゲストハウスのことで忙しく、それらをゆっくり見る時間はなかった。
ホントに、久しぶりに見る彼らの姿だった。
自分の気持ちの中では、スリランカのことは、精算できていたつもりだった。
でも、久しぶりにみる、写真やビデオの中のみんなの笑顔は、あまりにもリアルで、そして、遠い。
涙が止まらなくなった。
こんなにも心が引き裂かれるような感情を持つのは、本当に久しぶりのような気がする。
愛すべきものと離れていても、平気になったはずだったのに。
そして、理屈では、十分解っている。
私は、スリランカには、暮らせない・・・。
なんで自分がこんなに、スリランカに強い感情を抱くのか、正直自分でも解らない。
確かに、津波後、ヒッカドゥアで過ごした5週間は、今までの人生の価値観をくつがえすくらい、強烈な時間だった。
でも、それ以上の何か強いシグナルを感じる。
それは、私がスリランカを遠い思い出として忘れようとするたびに、送られてくるような気がする。
忘れちゃだめだよ。君の魂は、まだ、ここにあるんだよ・・・って。
今年の7月にスリランカを再訪した時、落としたまぶいを拾ってきたつもりだった。
中途半端だった気持ちを精算し、ロンボクでの生活に気持ちを切り替えたはずだったし、実際、そのことに十分、納得もしていた。
でも、やっぱり、私のまぶいは、まだ、ヒッカドゥアに落としたまんまなのかもしれない。
それとも、13夜の月の魔力が、私をちょっと、感傷的にしてるだけ???
2005年11月13日
図面ができたよ!!

私が書いたラフデザインをもとに、設計士の図面ができあがった。
こうして、ちゃんと図面ができあがってくると、なんだか、ちょっと現実的な気分になってくる。
まさか、ロンボクで、ちゃんと図面をあげて、建物建てるなんて、想像してなかった。
なんというか、スリランカの友達のバンガローとかも、みーんな、図面なんかなしで、建てている。
だから、ここロンボクも、そんなかと思っていた。
といっても、設計士を頼むのは、私の家だけで、客室用のバンガローは小さいから、大工さんだけで、できるよって、現場監督は言ってるけどね。
で、ベランダが半分くらい占めるけど、高床式の112.5m2の我が家の見積もりは、設計士費用も含めて、約220,000,000RP。日本円で約250万円くらい。
んー。100万円くらいと思っていたので、大幅に予算オーバーではあるのだけれど。
高床式であることと、床を木材にすることなどで、コストがかさんでしまうようだ。でも、どちらも絶対条件なので、仕方ない。
明日、設計士との打ち合わせなので、図面をチェックして、直すとことか、具体的なデザインとか素材とか、つめなくちゃ。
沖縄風の赤瓦と、オーストラリアのクイーンズランダー風と、ここロンボク風が上手く調和したおうちになったらいいなぁ。
PS 実は、私のおうち、敷地内の一番いいところに建てる予定。ビジネスより、自分優先なのだ!!
Posted by Ruri at
20:13
│ゲストハウスの進行状況
2005年11月12日
ガラスのこと

By Jonas
8日付の「びっくりメール」の主ヨーナスから、最近の彼のガラスの写真が届いた。
やるなぁ。腕あげたじゃん。
その写真から、彼の内地での生活の充実ぶりが目に浮かんだ。
私は、ものつくり屋というのは、日々、気持ちよく生きていくのが一番大事と思っている。
まぁ、苦悩の中から、素晴らしい作品を生み出していくタイプの人々もいっぱいいるけど。
個人的には、楽しんでつくられた物を楽しんで使っていく・・・というサイクルが好き。
ブログつながりで、西表島で独立した友達の記事も最近、届いた。
彼らしい透き(透明)を生かした作品の写真。
いい仕事、してるなぁ。
みんな、それぞれの土地で、それぞれの方法でガラスに向かっているみたいで、安心したのと同時に、ちょっと羨ましかった。
ああ、もう、一年もガラス触ってないよ。
オーストラリアで、glass studio 游を再開するまで、移住後約一年かかった。
一年ぶりのガラスの感触は、本当に懐かしく心地よく、嬉しくて楽しくて、夢中になって吹いた。裏庭の3メーター四方の頭がぶつかりそうなくらい、小さな物置工房。暑くて一個吹いては、外においたバスタブの水につかっていた。その後、物置中に穴を開けて、ずいぶん快適になったけど。
今までと違う空間で吹く事が、あんなに新鮮で、楽しい事だなんて思わなかった。こんな風に、世界中に、工房作って吹き歩いても楽しいだろうな・・・と漠然と思ったりしていた。
私は、廃ビンを利用した再生ガラスが好きなので、ここで吹くとしても、やっぱり再生ガラスを使いたい。でも、インドネシアは、残念ながら透明な瓶はそれほど普及していない。かなりの貴重品でもある。
なので、多分、沖縄の業者から、廃ビンを買う事になるかと思う。
まぁ、オーストラリア時代は、窯の火を止めている夏の間、町中のレストランやバーのゴミ箱から、はえやごきぶりと戦いながら、空き瓶を拾い集めていたので、それを考えると、お金出してでも買えたら嬉しい。
そして、一番の難関は、ガスの安定供給。
ガラスの溶解炉は、24時間1300度の温度を保ちつづけなければいけない。
沖縄では、コストの安い重油を使っていた。毎月の重油代は25万円くらいだった。
オーストラリアでは、プロパンガスを使った。ホントに小さな一人用の窯だったけれど、それでも、ガス代は、月16万円くらいかかった。
どうも、私の作る窯は、あんまり燃費が良くない。もっと、改良が必要。
値段もさることながら、燃料の安定供給は、もっと大きな課題だ。
燃料が切れて窯の温度が下がってしまうと、ガラスを入れているるつぼが割れて、使い物にならなくなる。
また、窯を作り直さなければいけない。
供給会社がこの事実をしっかりと理解し、何があっても、燃料を定期的に(週一回)供給にきてくれるよう、慣れるまでは、何度もやきもきした。
オーストラリアでは何度か危機があり、友人が他の店から、つなぎのブロパンを担いできてくれたことさえあった。その度に、胃がいたくなった。
果たして、ここ、ロンボク島で、ガスの安定供給が望めるのかどうか・・・。想像するだけで、すでに胃が痛くなる。
それから、窯の素材についても、ここロンボクでどれだけ揃えられるか、かなり怪しい。ないものは、オーストラリアや日本から取り寄せなければいけない。
そのコストや手続きを思うと、これまた、胃が痛くなる。
そして、晴れて生産できるようになったとして、そのガラスを無事、日本に出荷できるのかどうか。これまた、難関である。
オーストラリアの時は、普通に郵便小包で贈り物として、取引先に発送していた。
たまぁに税関にひっかかって、課税されることがあったけれど、年に数回だった。
それから、一度だけ、福岡宛の荷物が、何故かイギリス経由で、3ヶ月もかかってしまったことがあった。
ここロンボクの郵便事情は、かなり怪しいので、もしかしたら、運送業者を使わなければいけないかもしれない。そうなると、手続きもいろいろ面倒そうで、コストもかかってくるだろう。
果たして、廃ビンを日本から輸入し、また、できたガラスを業者を通して発送して、採算が合うのだろうか??
また、ガスの安定供給を望めるのだろうか???
課題は、山ほどあるのである。
でも、まぁ、やっぱり、落ち着いたら、ここ、ロンボクで琉球ガラスを吹いてみたいし、ローカルのみんなにも、ガラスを教えられたらって思う。
何年かぶりにまた、ガラスにさわれる日を遠く夢見る今宵かな。
2005年11月11日
家計簿

黄金色の時間。大好きなサンセットタイム。
ここロンボクで、一体いくらくらい生活費がかかっているのか知りたくて、家計簿をつけてみた。
で、10月の集計??が出た。
食事は基本的に自炊で、外食するのは、友達が遊びに来た時くらい。
なので、外食分は、食費には入っていない。
先月は979,600RP(12,000円くらい)。
ビールはビンタンの小瓶330ml 24本入りをケース買いしていて、ひとケース120,000RP。一日2、3本の消費で、月360,000RP。
ガソリン代は456,000RP。毎日のグルプックへの往復30キロくらいと、月に1、2度、プラヤまでの往復60キロくらい。
今までは、リッター2400RP だったのだけれど、原油の高騰でいきなり、リッター4500RP になってしまった。月収5〜700,000RP のローカルには、かなりきつい。
もっとかかるかなーと思っていた電話代は思ったより、安くすんだ。230,651RP。10月20日締めだったので、多分28日分くらいだけど。
バリの時は、プロバイダー契約していたのだけれど、ロンボクからだと遠距離通話になってしまうので、電話会社のインスタント接続に変えた。通話料と一緒に接続料も時間計算で請求される。(ちなみにこの接続料は、20,955RP だった。)
ブロバイダー契約が月150,000RP だったので、それよりかなり安い。まぁ、非常に遅いのは同じだけれどね。
日本の友達と、1度1時間くらい長電話して、一日平均40分くらいインターネットを使って、この金額なので、かなりありがたい。
ちなみに、オーストラリアも電話環境はすごく良かった。
ローカルコールは、何時間通話しても同じ料金。たしか、25セントくらい。(20円くらい)
これは、インターネットには最適だった。
また、フォーンカードというのがあって、それを使って日本に電話すると、一分15セント。これに、ローカルコールと一回60セントくらいの接続料がかかってくるけど、それにしても、安い。沖縄から内地にかけるより、安いんじゃないかなぁ???
で、家計簿の話に戻る。
一番大きいのは、ホテルの家賃。4,500,000RP。これは、へたしたら、沖縄並みかも?? でも、電気代込みだし、お掃除もしてくれるし。定価だと一泊70ドルの部屋だしね。
グルプックの私のおうちが完成するまで、あと数ヶ月の辛抱。
なので、基本的な10月の生活費は、6,300,000RPくらい。日本円で7万円ちょっと。家賃がなければ、2万円くらいである。
オーストラリアも食材とかは、かなり安く、持ち家だったので、月の生活費は、7万円くらいとなかなか安かったけど。
やっぱ、インドネシアは桁違い。
もちろん、医者の心配とか、日本食がない多少の不便はあるけれど。
とりあえず日々の生活は快適で、一切のストレスとは無縁の非常にゆったりとした時間。
また、世界中からツーリストがやってきて、人の動きもあるので、そういういろんな人達との海の上でのおしゃべりなんかも、日々のいいアトラクションだ。
んー。こーんな楽園生活、当分、やめられそうにないなぁ。
2005年11月10日
よそ者がいいな

クタビーチその3 日没後、採れたてのえびや魚をココナッツの殻で焼いてて、いつもそそられます。
沖縄の言葉で、「ないちゃー」というのがある。
沖縄県外、内地からやってきた人・・・という意味である。
差別的だとかで、この言葉を嫌う人も多いが、私は結構、好きだった。
日本語で、「外人」というのがある。
広辞苑で調べてみたら、外国人という意味以外にも、仲間以外の人。敵視すべき人という意味もあった。知らなかった。
インドネシア語では、外人のことを「ブーレイ」という。
日本語の正式な意味も知らなかったので、このブーレイにも実はいろいろニュアンスがあるのかもしれない。
いずれにせよ、私は、このよそ者差別用語??が、結構好きである。
人によっては、何年もその土地に住んでいると、そこに同化し、そこの人間のように振る舞い、自分はここの人間だと、明言する人がいる。
素晴らしいことだと思う。ものすごい努力をしたんだなぁって思う。
でも、私的には、「ないちゃー」はやっぱり、一生「ないちゃー」だし、ブーレイは一生、ブーレイだと思う。これは、悪い意味ではなくって。
なんていうか、血が違うのである。沖縄に住んでいて思ったのだけれど、純粋の沖縄人は、そのし好から、生活慣習、思考回路、全てが違っていることを感じた。そして、その沖縄の人達の感覚に感嘆し、尊重した。私は、「しまんちゅ」にはなれない。
オーストラリアでも、自分の外人という立場が心地よかった。
なんというか、都合の悪い時は、英語が全く解らないふりをして、その場を退散することができたりする。この外人作戦は、なかなか便利だった。
でも、英語が不完全なために、悔しい思いをすることも何度かあった。
特に口頭だと、上手く表現できない。悔しくてあとで、文書で送ったりしたこともあった。
以前、弁護士とちょっともめたことがあった。
弁護士相手に、くってかかるなんて、ポッキーの向こう見ずさは、飼い主似??かもしれないけど。
でも、オーストラリアという国は、権利という点では、ものすごく発展してるし、保護されていると思う。
ネットで、弁護士相手の相談所を見つけ、そこにメールで事の詳細を伝え、そして、結果的に、私の理屈が通った。かなり嬉しかった。
話がそれてしまった。
前に沖縄でスタッフとなかなか、上手くいかなかったと書いたけど。
考えてみたら、すでにここロンボクで、私は3人のスタッフがいる。
現場監督をお願いしてる二人と、舟の管理を任せている子。三人ともなかなか、優秀で、良く気が利き、良く働き、日々感謝している。
全体的に人が少ないこの環境で、良いスタッフに恵まれて良かったなぁ・・・ってホントに感謝している。
オーストラリアは、外人であっても、自力で生きていけたし、自分の権利は自分で守り、自分で生きていかなくてはいけなかった。
でもアジアでは、外人はローカルの手助けなしでは、生きていけないのだ。
で、このシステムを悪用して、たくさんの人達がだまされたりしてるのも事実だけどね。
ここロンボクでも、自分は外人であることを自覚し、ローカルを尊重し、上手く折り合いながら、末永く仲良く楽しく、暮らしていけたらいいなぁ。
よそ者であることが快適な私には、今はここ程、居心地良いとこは、ないのである。
2005年11月08日
びっくりメール

クタビーチその2 物売りに捕まった日本人と日々の営みを続けるやぎ。
昨日とはうってかわって、今日はサイズこそ上がったけれど、人は20人くらい。しかも、アグレッシブなブラジリアンがいっぱいで、2時間で5本しか乗れなかった。
なので、あんまり楽しくなかった。
いっぱい乗れると一日ご機嫌だけど、乗れないと、とたんに不機嫌になる。
サーフィンは、私の精神状態を大きく左右する。いいのか悪いのか・・・。
でも、嬉しいメールが届いた。
今までも、何度か、びっくりメールが届いたことがある。
小学校時代の幼なじみとか、親戚とか、全く音信不通になっていた人が、たまたま検索で私のサイトにたどり着き、元気そうでなによりです・・・とか、メールを送ってくれたりした。
非常に驚き、そして、妙に懐かしく嬉しかったりした。
で、今日のびっくりメールは、沖縄時代のスタッフ、ヨーナスからだった。
ちょっと前に、宮城の私の友達から、ヨーナスにガラスのオーダーをしたい・・といったようなメールが届いた。
なので、彼の携帯番号をとりあえず教え、彼のお母さんのメールアドレスに英語でメールを送ってみた。
(彼はスェーデン人のお母さんと日本人のお父さんとのハーフで、お母さんのメールアドレスは、英語しか受け付けなかった。)
彼は、私のオーストラリア移住に伴い、私の元工房を賃貸し独立、創作活動を続け、その後、本部の瀬底島に土地を購入、新しく工房を作る方向で話は進んでいた。
が、結局、いろいろあって、実家の鎌倉に妻子を連れて帰ったのは、私がオーストラリアを引き払った時期と同じ頃。
オーストラリアを出る前に一度、電話で話したけれど、それっきりだった。
実は、大の電話嫌いである。自分から電話することなんて、ほとんどない。
なので、メールでコンタクトとれる人以外は、結構疎遠になってしまいがちだ。
内地に帰ってどうしてるかな・・・ってずっと気にはなっていたけど、携帯に電話する気にもなれず、そのままだった。
でも、まぁ、友達の問い合わせもあって、数日前に久しぶりにお母さんのアドレス宛にメールを送ってみたのだった。
で、ヨーナス本人から、日本語で、彼のメールアドレスから、返事が届いた。
正直かなり驚いた。
ヨーナスには悪いけど?? 彼がパソコンに向かい、キーボードをたたく姿がまず、想像つかない。
ついでに言うと、彼が文章を書くという行為さえ、全く想像がつかない。
(彼を知ってる人なら、みんな、そうそうってうなずいてくれると思うなぁ。)
非常にびっくりしたと同時に、非常に嬉しかった。
おー!!!!! ついにヨーナスまでもが、メールを送る時代になったんだなぁ!!!!!
なんというか、私の沖縄の友達や取引先で、メールでコンタクト取れる人は非常に限られているのである。更に言うと、一応、メールアドレスがある人でも、返事が返ってくるのは、1ヶ月後だったりする。メール打つのが難儀とか、月に一回くらいしかチェックしないとか・・・なのである。
さて、ヨーナスからのメールには、短いながら、くっきりと目に浮かぶような彼の近況が書かれていた。「今がさいこう」という文字が嬉しかった。
何をやっても長続きしたことのない私は、虹工房で働いた1年半が実は雇われ最長記録だ。
おーしったいを引き払い、名護の田井等に新しく工房を建てたときに、内地の専門学校に求人を出し、やってきたのが、ヨーナスだった。
そして、彼と一緒に吹いた3年間は、私にとって、生涯忘れられない時間になった。
何しろ、気が短い性分。過去に何人も首にしてしまっている。
なかなか、スタッフと上手くいかなかった。
彼と3年も一つ屋根の下で吹き続けられたことは、私にとっては人生最長の記録だ。
多分、私たちがうまくいった理由は、ただ一つ。お互いを尊重(Respect)しあっていたからだと思う。そして、その気持ちは今も変わらない。
実は、私がサーフィンを始めたのは、彼の影響だった。そして、今がある。大好きな沖縄を離れた最大の理由は、毎日サーフィンがしたい・・・というただ一つの願望だったのだ。
私にこんな素晴らしい人生のチャンスを与えてくれた彼に心から感謝している。
ありがとね。
いつか、ロンボクの満点の星の下で、一緒に飲める日、楽しみにしてるよ。
2005年11月07日
世間話

クタビーチ。子供達が素っ裸で遊んでます。
お昼くらいの時間帯が比較的空いているので、その時間にサーフィンに行くことが多い。
今日は、その時間と潮の満ちてくる時間が重なり、コンディションは、最高だった。
で、メンバーは、5人。
先に入っていた日本人とそのガイド。
それに私の舟のキャプテンマットとその弟リザル、そして私。
この5人で、次の舟が来る2時頃まで、思いっきり波を独占。
波数は、まあまあ、サイズも時々頭超えるくらいで、楽しいファンウェーブ。
みんなが順番に乗っていって、上手い具合につながっていた。
久しぶりに、遊園地で遊んでるみたいな、ホントに楽しいサーフィンだった。
同じポイントで、毎日サーフィンしてても、波のコンディションとか、メンバーとかで、雰囲気はがらりと違う。
今日は、点数をつけるとしたらA+くらい。
帰りの舟の中、マットもリザルも満足そうな顔。
いっぱい乗って、いっぱいパドルして、すっごく疲れたけど、ものすごく楽しかったね。
遊園地で遊び疲れて放心状態で帰る子供達三人(私も含む)って感じだった。
さて、この日本人。私がロンボクで初めて逢った日本人の居住者だった。
朝の7時から入っている・・という。すごい。
日本の真珠会社に勤めていて、仕事でロンボクに住んで5年という。
グルプックから、車で、2時間くらいの西海岸で、真珠の養殖をしているという。
今日は一日お休みもらったので、日帰りでグルプックにサーフィンをしにきたらしい。それにしても、朝の7時からなんて、タフだなぁ。
で、海の上で、世間話に花が咲いた。
何しろ初めて逢う、在ロンボク日本人である。聞きたいことは山ほど。
私の質問攻撃に、彼は快く答えてくれた。
ロンボクで、真珠の養殖が盛んなのは、聞いていたけど。
何やら日本の真珠企業も数社入っているらしい。
彼の会社だけでも、日本人6人がここに住んでいるという。
なので、彼の推定では、約50人くらいの日本人が住んでるんじゃないかな・・・らしい。
結構、びっくりした。
おー50人も住んでるんだぁ。
でも、その割に、日本食、売ってないよなぁ。
ロンボク一番のスーパー Hero でも、醤油くらいしか売ってない。
それだけ日本人いたら、売っててもいいくらいなのに・・・。
彼によると、以前は、味噌とか、Hero で売っていたらしい。
でも、今は、みんなバリやジャカルタの日本食材屋から個人的に購入してるらしい。
(この技??は、私も考えていて、数日前に、バリの日本食材専門店にメールを送ったところだ。)
それと、もう一つ気になっていた、ロンボクの温泉についても尋ねた。
彼は、聞いた事がない・・という。
でも、彼のガイドが、あるよあるよ、滝のそばだよ・・・って。
で、その滝には、彼は行ったことがある・・という。
滝まで行ってて、温泉にいかなかったなんて・・・と言うと、知らなかったらしい。
結構、残念がっていた。
彼は、真珠の養殖場を探して、インドネシア中の島を調査したらしい。
その中で、フローレンス島では、土壌調査で穴を掘ったら温泉が湧いてきたという。
温泉が湧くってことは、真珠にはよろしくないので、仕方ないので、温泉につかって帰ってきたというけど。
温度も適温でなかなか、快適だったという。なんとも羨ましい話。
実は私は、大の温泉好きである。
にも関わらず、沖縄、オーストラリア、ロンボク・・・と温泉とはほど遠い環境に13年も暮らしている。
仕方ないので、マダガスカルやコスタリカで、温泉に通ったりしていた。
日本人がわざわざ、なんで・・・・である。
でも、もし、ここ、ロンボクで温泉に入れたら・・・それこそ、楽園!!である。
なので、一度その温泉に行ってみたいのだけど・・・。
何しろここから、3時間くらいかかるらしい。
3時間。かなりの距離だ。なかなか、決断できないでいる。
誰か一緒に行ってくれる人見つけるまでは、ロンボク温泉はおあずけだろうなぁ。
で、その日本人の彼、12月から、2ヶ月休暇を兼ねて日本に帰るらしい。
非常に喜んでいた。
寒いじゃん・・・って言っても、でも、嬉しい・・・って。
今まで転勤とかで、海外に住んでる日本人と出逢ったことがなかったので、これは、結構驚きだった。
仕事の関係で仕方なく、海外に住んでる人もいっぱいいるんだなぁって。
で、彼らは、日本に帰れることを心から楽しみにしている。
その反面、海外に住みたくて、安い給料でもがまんして、ビザのために働いている日本人も山ほどいる。
ひきこもごも・・・である。
いずれにしても、今日は、とっても楽しい一日だった。
なので、今宵も、ビールが上手いなぁ・・・である。
2005年11月06日
お経が響く町
最近、ぐっすり良く眠れるなぁ・・と思ったら、ラマダンが終わったから・・・みたいだ。
このイスラム教の一ヶ月の断食「ラマダン」については、以前、私のホームページの日記に詳しく書いたので、ここでは省くけど。
私は、彼らと一緒に断食してた訳ではないので、日常生活にはなんの問題もない・・・と思っていたけど、実はあった。
ラマダン期間中は、午後6時半に断食解除??になり、みんな一斉に一日分の水を飲んだり食事をしたり。そして、夜のお祈り、就寝・・。で、午前4時半起床で、一日分の水を飲み??(そんなの無理よねぇ)食事をし、朝のお祈りそして、断食の開始・・・なのである。
で、各部落には、それぞれモスクがあるのだが、このモスクから、日没後から夜中の2時くらいまでと、起床の午前4時くらいから、大音響で、コーランと思われものが流れてくるのだった。
これには、かなりやられた。
普段は、波の音と、風がさわさわとココナッツの木を揺らす音しか聞こえないとこである。
この大音響は、クタ中にこだまし、大好きな波の音も見事にかきけして私の脳をダイレクトに刺激し続けた。
一ヶ月もすれば、慣れるだろう・・と思ったけれど。実際慣れたような気もしてたけど。
全てが終わった今、こんなに快適にぐっすり眠れるようになったので、やっぱり、かなり刺激は強かったのだろう。
まぁ、終わって、何より。

私の舟のかわいいキャプテン、18歳のマットが、水も飲まずにサーフィンもせずに、私がサーフィンしてる間中、ずーっと舟で待っていてくれるのは、なかなか心痛いものがあった。また、ラマダン期間中、ローカルのみんなは、ほとんどサーフィンしなかったので、空いてはいたけど、海の中でのおしゃべりとかもできなくて、ちょっとつまらなかった。
無事、ラマダンも終わり、みんなが海に戻ってきて、やいのやいのいいながらのサーフィンは、やっぱり、楽しい。
マットも、私のお古の DHD 6’0” の傷を直し、いっぱいステッカーを貼って、すっかりマット仕様に仕上げて、一ヶ月のうっぷんを晴らすように、乗りまくっている。いいことだ。
それにしても、このコーラン攻撃。
似たようなことがスリランカでもあった。
津波後、もう、二度と津波が来ないように・・・と町中のスピーカーから、お経が大音量で流れ続けた。
友達のサーフショップなど、このスピーカーのすぐ近くにあったので、話が聞こえない程だった。
スリランカは、80パーセントくらいが敬虔な仏教徒だ。
町のいたるところに仏像がたっている。この仏像、日本やタイのものとは、趣きが違い、かなりカラフルでファンキーである。
で、この仏像。
津波で壊滅的なダメージを受けた町でさえ、ブッダは無傷だったらしい。
仏像によっては、ガラス張りのケースで覆われているものもあるのだが、そのガラス一枚、割れていなかっという。
この事実は、人々のブッダへの信仰をますます強めたのであった。
なので、話が聞こえない程の大音響の録音お経でも、人々に心の安らぎを与えたのだった。
きっと、ロンボクの人達にもあのコーランは、子守唄のように、優しく安らかな眠りに導いてくれていたのかもしれないなぁ。
でも、私は、やっぱり、波の音の子守唄が、断然、いいな。
このイスラム教の一ヶ月の断食「ラマダン」については、以前、私のホームページの日記に詳しく書いたので、ここでは省くけど。
私は、彼らと一緒に断食してた訳ではないので、日常生活にはなんの問題もない・・・と思っていたけど、実はあった。
ラマダン期間中は、午後6時半に断食解除??になり、みんな一斉に一日分の水を飲んだり食事をしたり。そして、夜のお祈り、就寝・・。で、午前4時半起床で、一日分の水を飲み??(そんなの無理よねぇ)食事をし、朝のお祈りそして、断食の開始・・・なのである。
で、各部落には、それぞれモスクがあるのだが、このモスクから、日没後から夜中の2時くらいまでと、起床の午前4時くらいから、大音響で、コーランと思われものが流れてくるのだった。
これには、かなりやられた。
普段は、波の音と、風がさわさわとココナッツの木を揺らす音しか聞こえないとこである。
この大音響は、クタ中にこだまし、大好きな波の音も見事にかきけして私の脳をダイレクトに刺激し続けた。
一ヶ月もすれば、慣れるだろう・・と思ったけれど。実際慣れたような気もしてたけど。
全てが終わった今、こんなに快適にぐっすり眠れるようになったので、やっぱり、かなり刺激は強かったのだろう。
まぁ、終わって、何より。

私の舟のかわいいキャプテン、18歳のマットが、水も飲まずにサーフィンもせずに、私がサーフィンしてる間中、ずーっと舟で待っていてくれるのは、なかなか心痛いものがあった。また、ラマダン期間中、ローカルのみんなは、ほとんどサーフィンしなかったので、空いてはいたけど、海の中でのおしゃべりとかもできなくて、ちょっとつまらなかった。
無事、ラマダンも終わり、みんなが海に戻ってきて、やいのやいのいいながらのサーフィンは、やっぱり、楽しい。
マットも、私のお古の DHD 6’0” の傷を直し、いっぱいステッカーを貼って、すっかりマット仕様に仕上げて、一ヶ月のうっぷんを晴らすように、乗りまくっている。いいことだ。
それにしても、このコーラン攻撃。
似たようなことがスリランカでもあった。
津波後、もう、二度と津波が来ないように・・・と町中のスピーカーから、お経が大音量で流れ続けた。
友達のサーフショップなど、このスピーカーのすぐ近くにあったので、話が聞こえない程だった。
スリランカは、80パーセントくらいが敬虔な仏教徒だ。
町のいたるところに仏像がたっている。この仏像、日本やタイのものとは、趣きが違い、かなりカラフルでファンキーである。
で、この仏像。
津波で壊滅的なダメージを受けた町でさえ、ブッダは無傷だったらしい。
仏像によっては、ガラス張りのケースで覆われているものもあるのだが、そのガラス一枚、割れていなかっという。
この事実は、人々のブッダへの信仰をますます強めたのであった。
なので、話が聞こえない程の大音響の録音お経でも、人々に心の安らぎを与えたのだった。
きっと、ロンボクの人達にもあのコーランは、子守唄のように、優しく安らかな眠りに導いてくれていたのかもしれないなぁ。
でも、私は、やっぱり、波の音の子守唄が、断然、いいな。
2005年11月05日
すぐれもの

以前は、旅の必需品で、現在は、生活必需品になっているものがある。
バリで1000円くらいで購入した、電気なべ。
ステンレス製のなべと電気コンロ??がセットになったもので、サイズもいろいろあり、メーカーもいくつかある。
インドネシアではポピュラーな調理器具なのかもしれない。
ちょっとかさばるけど、これひとつ、旅に持っていくとすごく便利。
火力はなかなか強く、また微妙な調整もできるので、お湯を湧かすにはほんの数分。煮物など、弱火でことこと・・には、威力大発揮。蒸し器までついている。
で、電気式なので、気になる電気代もホテルだったら使いたい放題??なのである。
私はこれで、バリでもスリランカでも、ホテルで結構、自炊してた。
地元の料理の食べ歩きも好きなのだけれど、地元の食材を使って、自分でつくって食べるのも好き。それに、外食ばっかりって、やっぱり、飽きるしね。ついでに言うと、「味の素」が嫌いで、バリで、「味の素」なしの食堂を見つけるのは、なかなか難しいのもあって。
で、この電気なべ、もちろん、今も、大活躍。
我が、タストラ・ホテル102号室は、小と中サイズのこの電気なべと、炊飯器、それと、カセットコンロで完璧な自炊設備を誇る。
ついでに、電子レンジとオーブントースタ。
怖いものなし・・・である。
(よくもこれだけ、ホテルに持ち込んだって感じ?? でも、私の部屋。ホテルと言っても7mx6mとかなり広く、天井は二階吹き抜けくらい高くー高いのはいいのだけど、その分、クーラー全然効かないーで、お風呂とトイレは半屋外で、そこにはかわいい中庭まであって、小さなワンルームのおうち並み。)
で、炊飯器は、電気なべの「大」としても大活躍中。
日本の炊飯器は、今やお米を炊く事に関してはその機能を150パーセントくらい発揮してるみたいだけど。
オーストラリアでもそうだったけど、インドネシアの市販の炊飯器は、オンのスイッチがついただけの超シンプルな日本の30年くらい前の型が主流。でも、これはこれで、なかなか、使い道の幅が広い。
パスタを茹でたり、煮付けをつくったり、蒸しパン用の蒸し器にも最適。ちょっとしたケーキを焼くのにも使える。
日本の炊飯器みたいに、つやつや美味しいお米を炊くには、役不足かもしれないけど、まぁ、いずれにせよ、日本みたいな、美味しいお米は手に入らないしね。
そんな訳で、今日も、電気なべ「中」は、あずきを煮るのに大活躍。
でも、たった今、ぴぴーって最後のおたけび??をあげて、全ての電化製品が止まってしまった。毎日恒例になってる停電だよ。やれやれ。
ホテルは、度重なる停電に供えて、自家発電装置を持っているけど、今、ロンボク時間で、午後4時50分。多分、日没の6時過ぎまでは発電装置動かさないだろうなぁ。
パンを焼いてる最中じゃなくって、ホント、良かったよぉ。
自慢の自炊設備は、停電には、ほとほと弱いのでした。
2005年11月04日
停電話

ロンボク式自転車??これ、写真じゃ解りづらいけど、サドル部分、ココナッツなのです。
私の滞在しているホテルタストラのある、クタ・ロンボクエリアは、今朝まで、3日間電話が不通だった。
停電はしょっちゅうあるけど、停電話??は、初めての経験だった。
でも、ホテルのスタッフは特にあわてた様子もなかったので、もしかしたら、しょっちゅうあることなのかもしれない。やれやれ。
ブログの更新もできないし、メールも送れない。
ラマダン明けの休みで、現場の工事も止まってるし。
ひまだから、とうふでも、つくろうかな・・と大豆を買いにいったら、クタ中のお店もみんなお休みだった。
しょうがないから、テレビでも見ようかな・・と思ったら、今度は、停電した。
やれやれである。
全ての機能が停止したような、レバラン(イスラム教のラマダン明けの祝日)の一日。
なんだか、私の脳みそも機能停止しちゃったみたい。
毎日、プツンプツンと音をたてながら、脳細胞がひとつづつ、壊れていってるような気がするのは、気のせいだろうか??
やばい。
このままじゃ、社会復帰できないよ。
でも、ずーっとここにいたら、復帰しなくてもいいんだよなぁ。
プツン・・・また、一個、壊れちゃったみたい。
2005年11月01日
負け犬ポッキー

昨日は、ラマダン明け間近で現場のみんながお休みに入るのと、波もなさそうなので、1日家でゆっくり、のんびり、たまってしまったメールのお返事を書く予定だった。
で、朝。毎朝恒例の、周辺パトロール??にポッキーは1人で出かけていった。
私はシャワーを浴びていた。で、あがって机の下を見たらポッキーが早々に帰ってきている。「あれ、今日は早いじゃん。」
はやく帰ってきたご褒美をあげようとしたけど、見向きもしない。
おかしいなぁ・・・って思ってよく見ると、体にかなりどろがついてる。
息が荒く、体はぐってりしてる。
かなりおかしい。
どろのついてるあたりの毛が少し、薄くなっているようだった。その他には目立った外傷はない。
車にはねられたのかもしれない・・・。
話しかけても目はうつろで、息は荒く、ぐってりしたまま。
そして、時々、苦しそうに、くーんとなく。
えーん、私まで泣けてくるじゃん。
水はかなり飲んだ。歩くのも問題ないようで、骨に異常はないみたい。
どうしよう。
ロンボクに獣医なんているんだろうか??
家畜はかなりいるので、もしかしたら、家畜用の獣医はいるかもしれない。
でも、果たして犬を診てくれるんだろうか??
イスラム教徒が80パーセントくらいを占めるロンボク。ムスリムは、豚肉を食さず、犬には触らない。
イエローページで獣医を探した。びっくりした。マタランに一軒だけあった。
ローカルの友達に、犬を診てくれるか、電話で聞いてもらうことにした。
が、あいにく、ドクターは、ラマダン明けの休みで、ジャワに里帰りしているという。でも、彼のスタッフの1人でドクターの資格を持つ女性がいるという。犬の診察も可能だという。
マタランまで、車で1時間半かかる。そんな長距離、車に乗せて大丈夫かとか、ロンボクの獣医さんなんて、大丈夫なんだろうか・・・とか、いろいろ迷った。
でも、うなっているポッキーを何もできずに見てるよりは、いちかばちかでも獣医さんに連れて行った方がいいような気がした。
友達がマタランまで、運転してくれるという。
行く事にした。
車の揺れがきついようだ。ますますぐったりしている。だめかもしれないって思った。こうなったら、彼の生命力を信じるしかない。
オーストラリアから、バリ・ロンボクと移り住んできた、インターナショナル??でタフなポッキーだから、絶対大丈夫。
そりゃ、生きてれば、人だって犬だって、いつかは死んでいくのだけれど、でも、まだ5年。あと最低10年は、一緒に暮らしていくんだから・・・と説得??する。
祈る気持ちで、動物病院に到着。出迎えてくれたドクターは可愛らしくとても若い。友達は、思わず、あなたがドクターですか???と二回も尋ねていた。
敬虔なイスラム教徒であるようで、可愛くスカーフもかぶっていた。
ロンボクの友達が、みんな、ポッキー、ポッキーと優しく声をかけてくれるものの、彼が近づくとおののく??のを見慣れている私には、ドクターが優しくポッキーに触るのを見るのは奇妙な気分だった。
犬に触れるんですねって思わず聞いたら、仕事ですから・・・って可愛く微笑んでくれた。
私もここまで来る途中に気づいたのだが、体のあちこちにかなりの傷があった。
それは、引っ掻き傷のようなもので、出血するほど大きなものではなかった。
ドクターの診断では、どうやらポッキーは、他の犬とけんかして、かなりこてんぱんにやられ、そのショックで、すっかり覇気を失って死にそうな顔をしているらしい。
まったく!!! ちびのくせに、相手かまわずかかっていくから、こういうことになるんだよ。いっつも、言ってるのに〜
注射を二本打ってもらい、5日分の薬をもらった。傷は深くなく、精神的なショックだけのようなので、数日すれば、元気になるでしょう・・とのドクターの言葉にほっとして、また、泣けてきた。
帰り道、ロンボクに獣医がいたことに、びっくりしたと友達に言ったら、彼もびっくりしていた。飼ってるヤギや牛になんかあったら、食べちゃうもんなぁって。
ついでに、私の家の建築の話になって、彼の友達のいとこが、設計士で彼に設計を頼むつもり・・・という。
ロンボクに設計士なんていないと思っていたので、これにもびっくりした。
なーんにもない島と思っていたけど、ちゃんと獣医さんや設計士もいるって知って、ちょっとロンボクを見直し、また、ほっとした。
1日のーんびりの予定だった昨日は、とんだ大騒ぎの1日になってしまったけれど、いろんな発見のあった1日でもあった。
何かに依存するのが、大嫌いなのに、自分がどれだけ、ポッキーの存在に依存していたかって思い知らされもした。
守るべきものがあると、強くもなるし、弱くもなるなぁって。
だから、極力なんにも持たずに、執着せずに生きてきたつもりだけど。
まぁ、でも、ひとつくらい、守るべきものがあってもいいかな。
「放任自立主義」??で、自由奔放にさせてたポッキーだけど、これからは、ビーチとかで一緒にいる時しか離さないことにした。
彼は不満足かもしれないけど、彼を守っていくためには、仕方ない。
お願いだから、もう、けんかしないでね〜。
PS 何にも口にせず、うずくまったまんまのポッキーだったけど、夕べ突然むくって動きだし、食欲も回復。いつもみたいにはじけとんではいないけど、今日は一緒にちょっとさんぽに行けるくらい復活。よかったぁ。獣医さん、ありがとう!!!