2005年10月29日

現場監督


今日は、いよいよ、ユンボが入る土地造成のクライマックス。

20年くらい前にあったするめ工場?? のオフィスの残骸等で盛り上がっているビーチ前や土盛りした土地全体を平たんにする作業。

このユンボ、1日オペレーター付きで、2,500,00ルピー。約3万円とかなり高い。それじゃ、日本と同じくらいだよ!! って、言ったら日本製の Komatsu の重機だからねぇ・・・とわかったような、わからないような、返事。
まぁ、でも、人の手ではとうてい無理そうなので、ユンボを入れる事にした。

なので、今日は朝から1日、スタッフみんなと現場監督。
1日中、ユンボを見てた。ほんとに、みんなで、1日中、ガーっと重機が土をならしていくのをぼーっと見てた。あまりの暑さにホントに、ぼーっとしてきた。

ロンボクに暮らしてから、どうも1日が早い。
なんというか、なーんにもしてないのに、あっと言う間に日が暮れていく。
時間の流れがゆったりしている分、1日がながーく感じてもいいようなものなのだけれど、なぜかとっても早い。
というか、ぼーっとしている間に、あっと言う間に時間がたってしまう。
多分、ぼーっとしてる時間が多くなったり、動きが非常にスローになっているせいなんだろう。

日本やオーストラリアでは、結構、てきぱきしていた私が、かなりスローになっている。1日24時間なのは、世界共通のようなので、きっと私の動きが遅くなった分、1日にできることが、少なくなってしまって、その結果、1日が短く感じるようになってしまったんだろう。

いいのか悪いのか・・・???

でも、ゆっくり歩いていても誰も文句言わないから、やっぱり、いいんだろうな。
これが、東京とかだったら、もっと早く歩けーとか文句言われそうだもんね。

それにしても、今日、お弁当に持っていったおにぎりと夕べの残りのすき焼き、ぼんやり海みながら食べたら、最高に美味しかった。

おにぎりと海って、なんだか幸せな気分にしてくれるよなぁ。

1日で終わらせるはずだった、ユンボ作業。結局終わらず、明日に持ち越し。
はぁ、また、予算オーバー。とほほ。

でも、明日も幸せ感じるために、お弁当、なんにしようかなぁ。  

Posted by Ruri at 20:18その他いろいろ

2005年10月28日

サーフィン病


グルプック・こどもポイント

「沖縄病」という、有名??な病いがある。
沖縄を旅し、その魅力に取り憑かれ、内地に帰ってからも、沖縄のことばかりを想い、焦がれる。やがて、禁断症状が現れ、沖縄に行かずにはいられなくなり、重症になると、移住するしかその治療方法はなくなる。
なかなか、やばい?? 病気である。

沖縄病ほど、ポピュラーではないかもしれないが、「サーフィン病」というのもある。
これも似たような症状で、波のことばかりが気になり、新聞の天気図を穴があくほど見つめ、サーフィン雑誌を抱きしめて眠る。そして、生きていく全てが、サーフィンのため・・・に変わってしまう。そのために、働き、そのために、食べ、そのために眠る。これも、重症になると、波の近くに住むしか治療方法はない。
これまたかなり、やばい??病気だ。

なぜ、これらのビョウキが発病するのか??

それは、沖縄もサーフィンも、今まで全く体験したことのない、素晴らしい衝撃を人に与え、そして今まで体験したことのない気持ちよさを与えてくれるものだからである。

そして、人々は、その快感に、はまっていくのである。

サーフィンがどのくらい気持ちよいかというと、これは、波に乗ったことのある人にしか解らない、かなり特殊な気持ちよさではある。

よく、アドレナリン噴出!!とか、そういうふうに表現されたりする。
脳みそが、パッカーンと大きな音をたてて、はじけ飛ぶような気持ちよさである。

サーフィンというのは、小さな板っきれに立って、波の斜面をすべりおりる遊び??なのだが、何しろ波の斜面・・・である。
固く安定した地面の上ではない。

そして、でかい時は、その高さは、一階建てや二階建ての建物くらいの高さである。そこに海水があるにしても、その高さから、飛び降りるようなものだ。
(このサイズは、普通のサーファーの場合。ビッグウェーバーと呼ばれるかなり重症の人達は、10階建てのビルくらいからも平気で飛び降りる。)

その感覚は、まるで、宙にういてるかのよう。そして、そのスピード感は、オートバイどころのスリルではない。

と、ここまで、書いて、私は、とてもとてもお腹が空いて、すき焼きな気分になってしまった。インターネットで、すき焼きのたれの作り方を調べて、すき焼きをつくることにします。続きは、また、明日・・・ね。  

Posted by Ruri at 19:56サーフィン

2005年10月27日

津波 その2


通常の100メートルくらい海水が引き、初めてその姿を現した海底。

実は、その日の朝、6時30分頃、軽い揺れを感じて目を覚ました。
スリランカでは、バスやトラックが暴走し部屋が揺れる事がしばしばあった。
なのでまた、クレージーなバスが通り過ぎたのだろう・・とぼんやりと思った。
しかし、その揺れは、奇妙に長く、小刻みにいつまでも続いた。
昨夜はクリスマスで、遅くまで飲んでいたせいもあり、もう少し、寝ていたかったのだけれど、その奇妙な揺れで、すっかり目が覚めてしまった。

目の前では、綺麗なエーフレイムの波が割れていた。

前日から、日本人のサーファーが急に増え出した。
私が、津波の10分前に海から上がった時には、かなりの日本人を含む20名くらいのサーファーがまだ、海に入っていた。
数日前から、仲良くなったボディーボードのゆみちゃんも、津波を海の上で体験した一人だ。

「なんか、大きなセットが入ってきたなぁ・・・くらいにしか思わなかったよ。ずんって水面が急にあがって、体が持ち上げられる感じがして。で、岸を見たら、波が自分のゲスト・ハウスの部屋にぶち当たってた。ああ・・・私の部屋が・・・と、思った瞬間、すでに跡形も無く、部屋は崩れさっていたよ。」

ローカル・サーファーの指示で、海の中にいたみんなは、とりあえず少し沖に避難。みんなで海の上から、波が次々と建物を破壊していくのを、ただ、眺めていた・・・という。そして、海水が引き、波がおさまったところで、みんなで、岸に戻ってきたらしい。

津波は、2時間おきくらいに、2度、3度と続いた。
それは、波が大きい・・という感じではなく、膨大な量の海水が、どんどん押し寄せてきて、最後に海岸の建物などにぶち当たり、そこにあるものを破壊していく・・といった感じだった。
今まで夢中になって追い続けてきた、波。波の持つパワーは、サーフィンを通して知っているつもりだった。しかし、目の前のそれは、想像を絶するほどのエネルギーを帯びた巨大なモンスターのようだった。

ただただ、自然に対する畏敬の念のようなものを感じ、ただただ、呆然と目の前の出来事を眺めていることしかできなかった。

ホテルのスタッフコリンが、今朝の地震に気づいたか??と聞いてきた。そうか、やっぱりあれは、地震だったんだ・・・。
ってことは・・・これは、津波だ。どっかで、巨大な地震が起こって、津波が発生したんだ。

「コリン、これは、津波だよ。津波。」津波・・・英語でなんて言うんだろう???

携帯で、オーストラリアの友達にSMS を送った。「スリランカは、津波の被害を受けています。今私たちに必要なのは、正確な情報です。連絡下さい。」

直後に、バリに住むオージーの友達マットから、SMS が届いた。
「オーストラリアのママから、スマトラ沖で巨大な地震が起こったってSMS が届いたけど、スリランカは大丈夫???」

このマットからのSMSで、全てが判明した。日本人の私には、簡単に理解できたこの津波も、ローカルやヨーロッパからのツーリストには、何が起こったのか、上手く把握できないようだった。日本人であることにこの時、感謝した。そして、ホテルのスタッフに津波について説明した。

津波は、地震によって起こる事。津波が単独で起こる事はない。なので、今後の地震情報に注意すること・・・。でも、今後の地震情報なんて、果たしてスリランカに届くんだろうか????

その日の満潮は、午後6時頃だった。満潮と重なって、波が大きくなるかもしれないことなどを考慮し、ホテルのオーナー、チャーミーの家に避難することになった。チャーミーの家は、少し山手のジャングルの中にあり、朝の津波でも全く、被害がなかったという。

ホテルから、チャーミーの家まで、コリンと一緒に歩いていった。海沿いの道は崩壊していたので、山手の道を歩いた。その1時間程の道のりは、5時間にも6時間にも感じた。

誰かが誰かのものを盗んだらしく、それをつかまえようとして、何人かが輪になって叫んでいた。泣き叫ぶ女性。血を流しながら歩いている人。がれきの山。崩壊した家。倒れて道を塞いでいる壁。水浸しの道。コリンと一緒だったから良かったけれど、こんな道、怖くてとても一人では歩けないと思った。

やっとたどり着いたチャーミーの家は、静かなジャングルの中にあり、全てが崩壊し、カオスと化している海岸沿いとは、全くの別世界のようだった。

チャーミーは、落ち着くまで、この部屋を使っていいよと、かわいいゲスト・ルームを私に与えてくれた。本当にありがたかった。

その、長い長い一日の終わりにベットに倒れ込む。窓から美しい13夜の月が見えた。
たくさんのツーリストや家を失ったローカルが、山手の寺院や学校などの床で寝ていることを思うと、私はなんて、幸せなんだろう・・・と心から感謝し、そして深く安らかな眠りに落ちていった。   

Posted by Ruri at 18:51スリランカ

2005年10月26日

津波 その1


津波がビーチ前のホテルを襲う。マンボープレイスの二階からオージーが撮影。20メートルはあったビーチの姿はない。


ピピッと、携帯が鳴る。SMS(ショートメッセージ・注1) 受信の合図だ。
この時間だから、きっと、マドラから。

“Hello Ruri, Genki? Nami e? Very small in Hakkiduwa today!! Oyasumi!!”

スリランカの西海岸、ヒッカドゥアというサーフィンで有名な小さな町の、19歳のローカル・サーファー、マドラは、私にとって、息子のような存在。

週に一回くらい、こうして彼からメッセージが届く。

ああ、今ここにマドラがいたなら。
ああ、今すぐヒッカドゥアに飛んでいけたら。
スリランカの全てが恋しくて恋しくて、泣きそうになる。

スリランカは、最後まで、私の移住候補地だった。
もし、ロンボクと出逢わなかったら、スリランカに住んでいたかもしれない。
でも、私は、ここ、ロンボクを選んだ。
いろいろな条件から、ロンボクに決めた事には、後悔はないし、実際にスリランカに住むとなると、ものすごく大変なことは目に見えている。

あるいは、ポッキーがいなければ、半年ヒッカドゥアに暮らし、残りの半年は、バリやオーストラリアを旅する・・・という選択もあったかもしれない。
でも、人生にもしも・・・は存在しないのが私の方針。

去年の12月から、今年の2月上旬までの2ヶ月間をヒッカドゥアで過ごした。
そして、12月26日の朝10時30分。私は、あの津波に遭遇した。
ちょうど、10分前に海から上がり、のんびりお風呂に入っていたところだった。

ごーっという、強風のような音がした。でも、窓から見える空は、いつもと同じ透き通るようなブルー。天気が急変した様子はない。そして、停電。キャーと誰かが叫ぶ声。犬がほえる。何かがぶつかる音、ガラスが割れるような音。

でも、それでも、のんびりお風呂に入っていた。
サーフィンあとの、バスタイムは、私にとって、大切な時間。これだけは譲れない。

実のところ、スリランカでは、びっくりするようなことが、毎日起こっていたので、多少のことでは驚かなくなっていた。

でも、今まで聞いた事のないようなノイズ。人々がわめきあう声。さすがに、尋常ではない外の雰囲気に、タオルを体に巻いて、ベランダに出てみた。

なんだろう・・・これは。
まるで、洪水の後のようだった。
たくさんのヤシの木が倒れ、塀が崩れ、ゴミが散乱している。

隣の部屋のイタリア人が、すごい剣幕で、叫んでいる。

私「What’s going on??」
彼「Titanic wave!!」
私「What???」
彼「Titanic wave!!!!!!!」

タイタニック・ウェーブ??? なんじゃ、そりゃ。

スタッフの一人が、一階からあがってきた。
奇妙なことが、しょっちゅう起こるスリランカである。
私は、思わず、
「何これ?? スリランカではよくあるの???」
と聞いていた。

「まさか。こんなこと初めてだ。一体何が起こったのか、解らないよ。」

目の前の海水は、100メートル以上、引いていた。
干満の差がほとんどないヒッカドゥアでは、いままで見た事のない海底が、その姿をあらわにしていた。
一体、あれだけの海水は、どこにいってしまったんだろう。
そして、次が来る事は明らかだった。

三階にいた、イギリス人が、次が来るから、避難すべきだ!! といって、バックパックを背負って、あわただしくホテルから出て行った。

隣のイタリア人も、サーフボードをかかえて、駆け出して行った。

私も、何がなんだかよく解らなかったけれど、とりあえず、貴重品を持って逃げることにした。でも、貴重品って、何????
混乱していた。足が震えた。落ち着いて・・・落ち着いて・・・自分にいいきかせる。

大事なマック(ラップトップ)と、ビデオカメラをかばんに入れて、タンスの一番上に隠した。ここまでは、海水がこないように・・・と心から祈った。
財布とパスポートをバックパックに入れ、サーフボードをかかえて、通りに出た。

そこは、文字通り、カオスと化していた。

横倒しの車。がれきの山。シンハラ語というスリランカの言葉や英語、その他もろもろの言葉で、人々がそれぞれに何かわめきながら、さまよっている。
逃げるっていっても、一体どこへ???
道の中央に呆然と立ちすくむ事、多分、5分くらい。

そして、私は、ホテルへと戻った。

スタッフも、とりあえず、ホテルにいるのが安全だと言って、みんなで、一階にあった、コンピューターなどを三階に運んだ。
私の荷物もホテルの貴重品と一緒に、三階の6号室に詰め込む。
全室、6室の小さなホテル。サーフポイントの目の前にある、新しくこぎれいな三階建てのホテル・インペリアル。

その三階のバルコニーから、私は、2度3度と押し寄せる津波をただ、呆然と眺めていた。ただ、見てることしかできなかった・・・。 続く。

注1 日本やアメリカ以外の国の携帯は、SIMカード式。その国でSIMカードを購入すれば、世界中どこでも使える。なので、私は、バリで買った携帯をスリランカでも、オーストラリアでも使っていた。もちろん、ここ、ロンボクでも。そして、このSIMカード同士の携帯には、SMS と呼ばれるショートメッセージを世界中どこへでも、格安で、瞬時に送れる。すごく便利。でも、日本の友達とは、このSMSが使えない。オーストラリア帰りの友達と、いつもぶつぶつ文句を言ってます。  

Posted by Ruri at 14:21スリランカ

2005年10月25日

NHKが見れるよぉ!!



ここ、ロンボクでは、結構、あっちこっちに、にょきにょきと、パラボラアンテナが立っている。

普通のインドネシアの番組を見るにも、このアンテナがいるらしい。

私の滞在しているホテル・タストラにも、この巨大なアンテナがあるのだけれど、ローカル局さえ、時々入らなくなる。

最近は、インターネットのニュース欄とかで、世の中の動きをチェックしたりはしているけど、どうも、箇条書きのインフォメーションだと、いまいちよく解んない。

それから、このところ、ローカルとのへなちょこりんな英語でのコミュニケーション続きで、たまに、オーストラリア人のツーリストなんかと話すと、自分の英語力が落ちてるのを感じる。

これらの問題を解決するには、英語のテレビ・ニュースを見るのが一番!!!!

ABC Asia Pacific (オーストラリアの衛生放送で、アジア全般のニュースとかドキュメンタリーとか放送してます。)が、見たいよぉ!!!!!

ってな訳で、ホテルのスタッフつかまえて、パラボラアンテナ立てていい??? と聞いてみた。約2週間前のこと。

で、晴れて、オーナーの承諾を得て、アンテナ立てて、衛生放送を受信することができるようになったのだ!! 素晴らしい!!!

設置するまでは、残念ながら、NHK は、入らないよ・・と言われていたのだけれど、立ててみたら、見事に入った。これまた、素晴らしい!!!!
なので、「今日の料理」なんて、番組まで、みれちゃう。

総額約1万8千円也。もちろん、自分のおうちが完成したら、アンテナは簡単に移動できる。引っ越しするまで、待ってようかと思ったけど、まだ、数ヶ月は、ホテルの住人の予定。思いきって聞いてみて、良かった。

それにしても、このホテル、犬飼って良くって、部屋に自分の電話回線引けて、ついでにアンテナまで、立てさせてくれて・・・。
日本の賃貸マンションとかより、ずっとずっと、快適だよなぁ。

写真は、アンテナの向きを調整しながら、みんなで、テレビを眺めてる・・・の図。
結局、この場所は、ココナッツの木が多すぎて、上手く電波が入らず、別の場所に移動したのでした。やしの木で、電波障害ってのもロンボクらしいよなぁ。  

Posted by Ruri at 20:13その他いろいろ

2005年10月24日

進行状況!!



私が買った土地は、だいたい100mx70m の海に面した長方形の土地。

でも、まわりが、ビーチとか、マングローブが生える巨大な湿地帯のせいで、いまいち、大きさを現実的に把握できなかった。

この土地の、三分の二くらいは、大潮の満潮時に海水が入ってくるため、海の前という、素晴らしいロケーションにもかかわらず、誰も見向きもしなかったらしい。
(まぁ、その他にも、水道が不定期にしか流れてこないとか、電話線がきてないとか・・・といった問題もあるけど。)

私は、一目でその土地が気に入り、5分で購入を決めた。
というか、すでに、かなりの土地を見せられ、どこも、満足のいく土地ではなく、諦めかけていた時に、最後に、ここも一応・・・と見せられたせいもある。

確かにマングローブが生えてはいたけど、ホワイトサンドのビーチの前。
サーフポイントも見える。
(ここ、グルプックは、湾になっていて、この湾の中に5つのサーフポイントがあり、それぞれのポイントには、小さなボートで渡る。)

他の土地なんて、車が入れる道さえなかったり、海の前だけど、岬の突端で、風がびゅーびゅーだったり。
そんなとこでさえ、すでに外人が買い押さえている状況に、なーんだ・・・いくら安いっていったって、すぐに建物建てられる環境じゃないじゃん・・・って感じ。
みんな、5年、10年後の投資用に買ってるらしい。
私は、投資じゃなくって、今すぐ、住みたいんだよぉ。

で、晴れて、長年の夢だった、海の前の土地を約300万円で購入。
とりあえず、ビーチに面した部分以外に塀をつくることと、海水が入ってこないように、土を入れる作業が、40日前から始まった。

「土、トラックーいわゆるダンプー何台分だろうねぇ・・・。」
「100台くらいじゃない??」
これは、土地の購入を進めている段階の友達との推測。

「実際のところ、トラック何台分くらいかなぁ??」
「500台くらいは必要かもしれない・・・。」

で、最終的にトラック1000台分の土が、運び込まれた。

そのコスト100万円以上。塀の費用を合わせると、土地の値段とほぼ同じ。

インドネシアでは、1 are (10mx10m) で、いくら・・・という表現をするのだけれど、1 are 3,500,000ルピアだった土地が、1 are 7,000,000 ルピアになってしまった。とほほ。

でも、お金かけただけあって、見違えるように素晴らしい土地に変わった。

今だったら、1 are 20,000,000 ルピアで売れるよ・・とみんな言う。
もちろん、売らないけど。

サーフポイントに近い事もあって、ツーリストのサーファーにも目に留まる土地。みんな、次回は、ここに泊まりたい・・と言ってくれてる。
私も、早く、住みたくってうずうずしているくらい。

無事、建築許可もとれ、土盛りも明日で終りそうなので、多分、来月からは、いよいよ、私のおうちの建築に入れそう。
(まずは、私のおうちを建てて、引っ越ししてから、ゲスト用のバンガローを建てていくことにした。)

おうちのデザインを考える毎日・・・。どきどきわくわく。

それから、たくさんの木も植えていきたい・・・。
やれ、ココナッツだ、マンゴーだ、バナナだ・・・とみんなで、あれもこれもと、盛りだくさん。
こんなに広いから、サッカー場もつくれるかもね。じゃ、バトミントンと、プールバーと・・・。
またまた、みんなからのリクエスト。

私にとっての楽園は、グルプックのローカルにとっても、楽園であって欲しい。そして、もちろん、ここを訪れた人にとっても。

今日も、ビールが上手いなぁ。  

Posted by Ruri at 19:56その他いろいろ

2005年10月23日

今日は短く!!



昔から、手紙とか書き出すと止まらなくなるたちで、このブログも書き始めると、いつもいつも、どんどんどんどん長くなってしまう。
なので、今日は、シンプルに!!

昨日、27歳までは、自信のない子だったと書いた。
書いてて、自分でちょっと恥ずかしくなった。
だって、今は、自信の固まりみたいなスーパータフな人間になってしまったから。

ついでに書くと、以前は、かなりやせっぽっちだった。というか、体が薄かった。なんていうか、ハンガーみたいだった。
高校時代に生物の先生が、しみじみ私に向かって、
「おまえ、体、うすいなぁ・・・。」って言った言葉、今でも克明に覚えてる。
それにしても、あの先生、年ごろの女の子にかなり失礼だよなぁ・・・今思えば。

沖縄でガラス吹いてる頃、よく雑誌の記事などで、きゃしゃな体で、激しい仕事をこなす・・・とか、そういう書かれ方をしていた。

が、いまじゃ、誰も「きゃしゃ」なんて、言ってくれない。

サーフィン始めて以来、筋肉がものすごくついた。
特に、肩と胸と両腕。自分で言うのもなんだけど、なんだか、プロレスラーみたい。

多分、高校時代とかの友達と逢ったら、私はまるで別人だろうなぁ。きっと。

大人になってからは、人間そんなに変わらないものだと思っていたけど、暮らしていく環境とかで、いくつになっても変わっていったりするもんなんだなぁ。
これから、どんな歳の取り方をしていくんだろう。結構、自分で楽しみだったりする。

今日、サーフィン行く途中に、木陰で涼んでいるバッファローの群れと牛飼いの子供達を見かけた。
すごく気持ちの良い風景だったので、車を止めて写真を撮った。

なんか、いいでしょ。

こーんな時間を過ごしたくなったら、いつでも、ロンボクに遊びにきてね。  

Posted by Ruri at 18:50その他いろいろ

2005年10月22日

手紙



ロンボクに住んで以来、初めての手紙が今日、日本から届いた。
消印は10月13日。
すごい・・・たったの9日。結構びっくりした。

実は、このクタエリア。かなりへんぴなとこなので、何軒か郵便物がまとまらないと届けにきてくれない・・と聞いていた。

以前、スリランカから、グルプック(ここクタからさらに車で10分くらいの行き止まりの小さな部落・私の買った土地もここ。)の友達にカードを送ったら、なんと2ヶ月かかった。
まぁ、届いただけ、素晴らしい・・と感動したけど。

差出人は、福岡の取引先のご主人。
慣れ親しんだ懐かしい文字。

pebbles さんは、ガラス屋さんでも工芸品屋さんでもなく、かなりしゃれた洋服屋さんだ。
でも、ちょっと気の利いたプレゼント用とかに、ガラスとか、アクセサリーとかも売っている。

オーナーの青柳さんと初めて逢ったのは、独立したてのオーシッタイ時代だった。
師匠の虹工房の紹介で、はるばる名護の山奥まで、レンタカーでやってきてくれた。
車を返すときに、どろだらけの車体を見て、一体どこに行ったんですか?? とびっくりされたという。
当時は、観光客が来るようなとこではなかった。
地元の人でさえ、知らないような山奥の部落。でも、オーシッタイ工芸村構想などで、口コミでずいぶん有名になり、GW なんかは、未舗装の細い山道が大渋滞??になったりしたけど。(源河川上流で、可愛い喫茶店があったり、陶芸・藍染めなんかの工房もある素敵な空間です。)

沖縄時代には、50軒くらいあった、取引先も、オーストラリア移住に伴って、半分くらいになった。でも、1人で吹くにはちょうどいい、量だった。

そして、オーストラリアに越してからも、変わらずにオーダーをくれたみんなは、取引先というよりは、お友達や親戚のようだった。
みんな個人的に私のガラスや私自身をとてもとても理解し、愛してくれた。そして、いろんなわがままをいつも許してくれた。本当にありがたかった。

青柳さんもその一人。いつもいつも、私を応援し、励ましてくれた。
時々届く、彼からの手紙やファックスに、どれだけ勇気づけられたことだろう。

すごく過酷できつい吹きガラスの仕事。
何度も何度も、やめちゃおう・・・って思った。
でも、そんな時、取引先のみんなや、見ず知らずのお客さんから、
がんばって下さい・・・って、メーセージや手紙がふいに届いたりする。

その一言にどれだけ、救われたことだろう。

私のガラスを待っていてくれる人がいる・・・ものつくり屋として、なんて、光栄なことだろう。

手先も不器用で、生きていくのもへたくそで、自分の気持ちを上手く表現することもできなくて、人と上手くおりあっていくのも苦手で、ついでにお金もなくって・・・。そのくせ、あきっぽい性格。かわった仕事は、40以上。何やっても長続きしない。日本中を転々と暮らす生活。

なーんにもなかった27歳の私に、勇気と自信を与えてくれた、沖縄と稲嶺さんと琉球ガラス。
私は、私でいいんだ。みんなと一緒でなくていいんだ・・・って。

それから、私は、ものすごく強くなった。
なんにも怖いものがなくなった。
淋しいとか、不安とか、心配という感覚がほとんどなくなった。
私にとって、距離は全然、重要ではなくなった。

沖縄も大好きな人も、いつもちゃんと心の中にいて、いつでも、触れ合うことができる。いつでもどこでも暖かく優しく私を受け入れてくれる。

だから、こんな風に、世界中、どこででも平気で生きていけるようになったんだと思う。
それは、沖縄と稲嶺さんと、ガラスを通して出逢った全ての人達のおかげ。

いっぱいいっぱい、ありがとう。
そして、これからもよろしく。


Pebbles 福岡市中央区大名1-9-27 第一西部ビルTel/Fax 092-771-6238  

Posted by Ruri at 20:41その他いろいろ

2005年10月21日

フルーツ天国



果物大好きな私には、オーストラリアの生活は、とてもとても快適だった。

日本と比べるとかなり安くて、種類も豊富。
メロンとか、マンゴーとかも一個100円くらいだった。

というか、日本のフルーツが高すぎるような気がするなぁ。
値段の分、姿・形は、素晴らしいけどね。

オーストラリアで一番気に入っていたのは、ブルーベリー。

生のブルーベリーなんてほとんど見た事なかった私は、パック入りのそれをぱくぱくとそのまま、よく食べたものだ。

で、ここ、ロンボクもなかなか、快適なフルーツ天国。

私は、バナナがとっても大好きなのだけれど、日本でモンキーバナナとか言われているような短いタイプのバナナは、どうもあんまり好きじゃない。
子供の時から食べ慣れたフィリピンとか、台湾とか、長めのものが好き。
なので、沖縄の島バナナもちょっと苦手だった。

バリやスリランカでは、この短めのバナナが主流だ。
なので、バナナが安くいっぱいあるにも関わらず、これじゃないんだよなぁ・・・とぶつぶついいながら、食する日々だった。

が・・・ロンボクには、なんと、私好みの長めのバナナがいっぱい。きゃっほー!!

でも、このロンボク・バナナ、皮は緑色。
一番初めに、このバナナをローカルの友達から手渡された時、まだ、あおいじゃん・・しぶいはずよぉ・・と言ったら、大丈夫。食べてみなよって。
で、おそるおそる皮をむいて一口・・・うまい!!
これこれ、懐かしい、フィリピンバナナみたいな味。

なにやらこの品種は、皮が黄色くならないらしい。
触ってみて、やわらかかったら、食べ頃ってわけ。

マンゴーもいろんな品種があって、たいがいは、緑色のまま。
これは、大きめで横長のものが好きだ。品種にもよるけど一個20円くらい。

昨日、プラヤ(うちから車で40分くらいの町)の市場で、ロンボク初のランブータンを発見。ロンボクのランブータンは、美味しい!! という噂。
雨期に近づき、シーズンでもある。
で、もっとシーズンになると、道沿いにいっぱいランブータン屋が並ぶらしい。
今は、スイカ屋が並んでいるけど。
でも、残念ながら、このフルーツ街道は、うちから1時間くらいとかなり遠い。

で、市場のおばちゃんにいくら??とたずねる。
1キロ約250円という。ちょっと高いなぁ・・と思ったけど、久しぶりのランブータンとの再会??で興奮?? していた私は、値段交渉もせず、500グラムをお願いした。初ものは、縁起ものだし???
ついでに、リンゴとかパイナップルとかも買ったので、そのおばちゃん、機嫌よくして、最後のおまけにかなりのランブータンを袋に詰めてくれた。
よっぼど、ぼってたのかな??

で、東を向いて笑うの忘れたけど、お初のロンボク・ランブータン、確かに美味しかった。満足。

それと、何やらカシューナッツも、ロンボクの特産らしい。
クタの店で、塩味とかついてない、そのままのカシューナッツが時々売ってて、ビールのつまみにぱくぱく食べてる。超美味しい。

日本食材は、ほとんど手にはいらない、ロンボクだけど、大好きなものがいっぱいで、食生活は、大満足。食べ物って、移住にはかなり大きなポイントだからね。

ちなみに、飼い主に似て?? ヘルシー志向の愛犬ポッキー、キャベツとか、バナナとか大好き。ちょっとへん??  

Posted by Ruri at 18:20食べ物

2005年10月20日

銀行



工事の材料費の支払いがあったので、現金をおろしに銀行に行った。
ここ、クタから一番近い銀行は、車で40分のプラヤという町にある。ついでにいうと、一番近いガソリンスタンドもここ、プラヤにある。
なので、銀行に行った時は、ガソリンも満タンにして帰ってくる。

バリなどを旅した人なら知っていると思うが、インドネシアは、オートバイがいっぱい。ガソリンスタンドがそこら中にあるわけではないので、ガソリンは、ウォッカの瓶などに入れてその辺の道端で売っている。
で、かなりいろいろ混ざっているらしく、みんなへんな煙や音を出して走っている。
クタでも最悪、この瓶入りガソリンは買えるが、車にはあんまりよろしくないようなので、私はまだ、トライしたことはない。

この瓶入りガソリン・・・もし、まちがって、バイクなんかが、突っ込んでいった日にゃぁ、どうなるんだろう・・・といつもハラハラしているのは、私だけだろうか??

さてさて、本題。

インドネシアのATM は、1回におろせる金額と、1日におろせる金額が限られている。(スリランカもそうだったけど。)
銀行によって多少の違いはあるが、だいたい、1回が1万円くらいで、1日の限度額は5万円くらいだ。(クレジットカードや日本の提携銀行カードなどでもそうなので、手数料ばかりがかさんでいただけない。)
まぁ、普通にインドネシア人的な生活をしていれば、そのくらいの限度額で問題はないのだろうけど、ちょっと大きな買い物などをしようと思うと、なかなか、不便だったりする。

今回は、60万円くらい必要だったので、銀行窓口に行った。

インドネシアの銀行は、どこもいっつも混んでいる。
延々並んでいるところもあるけれど、私の銀行は、入り口で、番号札をとる。これはなかなか、いい。
今日もいっぱい人がいた。また、一時間くらい待たされるんだろうな・・と思いながら番号札のボタンを押したけど、動かない。

口座を開設するときとか、お世話になったちょっと英語のできるお兄さんに、機械、壊れてるよぉ・・と言うと、今日は、もう、終わりだ・・という。まだ、1時半。
銀行が閉まる3時までは時間がある。
なんで?? と聞くと、ちょっと返事に困ったような顔をして、結局、解らない・・と答えた。

解らない訳は、ないんだろうけど、きっと、英語でなんていうか、解んなかったんだろう・・と理解した。

お金、おろせるかな・・・?? と聞くと、ボスに聞いてみるよと、奥に入っていった。

答えはオッケー。良かった。はるばるこの為に40分もかけてここまで来たのだ!!!
3番窓口へ行って・・と言われ、そのまま窓口へ行き、全然待たずに現金をおろすことができた。良かったぁ。

いつも思うのだが、インドネシアの銀行は、現金をいっぱいもってる。
オーストラリアの銀行の場合、正式な金額は忘れたけれど、確か20万円以上くらいは前もって、銀行に電話をして、現金を用意しておいてもらわなければいけなかった。まぁ、オーストラリアは、キャッシュを持ち歩く習慣があんまりなく、たいがい、カードか小切手のせいもあるのだろう。
どんな小さなスーパーでも、カードで簡単に支払いができる。
私も、ほとんど、カード生活だった。

で、インドネシアで、60万円っていったら、日本だったら、600万円くらいの大金。しかも、一応1200円くらいのお札もあるけど、普通に流通しているのは、600円くらいのお札。なので、窓口から渡されるのは札束をごそっと・・・高さにして約15センチ。結構、怖い。

まわりを見回し、バックパックに現金を詰め込み、そそくさと車に戻る。

ほんとは、小切手や銀行振込にしたいのだけれど、あんまり普及してなくって、みんなキャッシュがいい・・・という。
アジアだなぁ。

ちなみに、オーストラリアの銀行は、利息がすごくいい。
最高で、年利5.6%くらいつくものもある。日本にいるときは、利息なんて、何円・・の世界だったけれど、100万円くらい入れとけば、1年で、5.6万円。オーストラリア往復の飛行機代くらい出る。これは、なかなか、お勧め。

インドネシアもそこそこ利息、良いのだけれど、何しろインドネシア。あんまり信頼できないので、いまのところ、現金は全てオーストラリアの銀行に預けている。で、必要な時だけ、インターネットバンキングで、インドネシアの口座に送金している。だいたい、3日くらいで届く。なんて便利な世の中になったのだろう。

私は、ガラス屋で儲けた訳ではないのだけれど。
いくら安いといっても、土地かったり、ゲストハウス建てたり、資金源は・・・??と、思う人もいるだろう。

実は、5年前に約700万円くらいで買ったオーストラリアの家が、ビザの失効とともに、売却しなくてはいけなくなったのだけれど、ここ数年の土地価格の急騰で、倍以上で売れたのだ。みんなにラッキーと言われた。自分でもそう思う。

なので、これは、そのお金を使って、何かやりなさい・・ということなんだと理解し、たまたま、持ってる資金で建物まで完成できそうな土地と出逢えた訳なので、正しい道の上にいるのだろう・・と思っている。

どうも、株とか、土地ころがしとか、そういうお金は好きではない。

ものつくり屋は、やっぱり、汗水たらしてものつくって暮らしていくのが正しい生き方と思う。
なので、いろいろ、落ち着いたら、ロンボクで琉球ガラスの工房を再開できたら・・・と思っている。でも、スーパーウルトラ暑そうだなぁ・・・・。  

Posted by Ruri at 20:12その他いろいろ

2005年10月19日

オージー犬



愛犬ポッキーは、オーストラリア生まれのバリバリの??オージー犬だ。

ツイードシティーのショッピングセンターのペットショップにいた。
生後8週間の彼は、兄弟5匹と戯れていた。
手のひらに乗るくらい小さかった。5年前のこと。

ジャック・ラッセルと、ミニ・フォキシーのあいのこらしい。ミックスのくせに?? 740ドル もした。(日本円で約6万円)
足から体にかけての色がグリコのポッキーみたいなので、名前は、ポッキー。
その名の通り、みんなに愛される可愛い奴だ。

ちなみに、バリに連れてくるにあたって、飛行機代その他が約7万円。バリの入国の際、税関等に払った金額が約7.5万円。
バリからロンボクに連れてくるにあたって、フェリー搭乗の際、ポリスに払った賄賂?? 約4000円。

もちろん、ここまで一緒にこれただけで、私はハッピーだけど。

さてさて、本題。

彼は、ちびのくせに、相手がどんなにでかかろうが、ヤギだろうが、水牛だろうが、くってかかろうとする。
このあたりは、かなりオージー的。

ホテルの私の部屋の前は、ホテルの塀の穴をくぐって侵入してくる、のら犬の通り道になっている。
で、いさましいポッキーは、ローカルのでかい、怖そうな奴にも、くってかかろうとする。かなりオージー。

が、よくよく観察してみたら、吠えて威嚇するのは、おす犬に対してだけだった。
めす犬は、ウェルカムなのだ。おー。さすが、オージー犬。

「ハイ!! ガールズ。僕、ポッキー。オーストラリアから来たんだ。海の前のホテルに住んでるから、遊びにきなよ。」

そんなノリ。きっと。
最近、ガールフレンドができて、なかなか、帰ってこない時がある。

いつの間にかホテルの敷地から脱走して、ホテルのスタッフ総出で探しに行ってくれたこともあった。

この間も、ガールフレンドと仲良く日光浴してるから、大丈夫かな・・とちょっと目を離したすきに、彼女について、外に出て行ってしまった。
で、ホテルのスタッフが、外でけんかしてるよ・・・って。

なにやらその彼女をめぐって、ローカルの犬と口論??になってるようだ。

相手は、かなりでかい。でも、そんなことでめげるオージーではない。
でも、獣医なんていなそうなここ、ロンボク。怪我でもされたら困るので、手綱をつけて、連れて帰った。

無理矢理、部屋に連れてこられた彼は、しょんぼり窓から外を眺めている。

彼女が、窓際まで、様子を見に来た。

「所詮、あなたは、飼い犬ね。私とは生まれも育ちも、違いすぎるわ。」

そんな目でガラス越しにポッキーを見つめる彼女に、くぅーんと切ない鳴き声をあげる。

私まで、切なくなるじゃん。そんな顔して、外見つめないでよぉ。  

Posted by Ruri at 18:24その他いろいろ

2005年10月18日

波動



独立したての頃の話。
24時間ガラスの溶解炉の温度を1300度に保たねばならず、また、コンプレッサーを使って空気を送り重油を燃やしていた。そのため、停電などの不安もあって、10ヶ月間、一歩も工房から出ない生活を送った。オーシッタイという名護の山の中の小さな部落でのこと。

朝から晩まで、ガラスと向き合う、かなりストイックな生活。外界から隔絶された世界だった。

が、不思議と、何か欲しいものがあると、うまい具合にそれが手に入ったり、あの人、どうしてるかな・・久しぶりに逢いたいなぁ・・とか思っていると、その人がひょっこり遊びにきてくれたりした。

天とか、宙とかと、つながっているような感覚があった。

やちむん屋のマサハが遊びに来てくれた時も、そんな感じだった。
どうしてるかな・・・と思ったら、遊びに来た。彼が工房に来てくれたのは初めてだった。
「結婚することになったよ。」
初めて逢うあゆみさんは、マサハと同じ空気を持った女性だった。

私が沖縄に渡ったのは、1992年の7月だった。マサハもその頃、沖縄に住み始めたという。コザ出身のあゆみさんは、長い内地での生活の末、その頃、沖縄に戻ってきたという。他にもたくさんの人達が、沖縄に移住しはじめたり、沖縄出身者が、沖縄に戻ってきた時期だという。

「沖縄が大きな波動を出していたんだよ。その頃。だから、たくさんの人達が呼ばれてここに集まってきた。もうすぐ、そのパワーが集結する時がくるよ。」

あゆみさんのその言葉が、ずっとずっと、脳裏に焼き付いて離れなかった。

そして、1997〜8年。そのパワーが集結し、炸裂したように思える。

取り立てて、じゃぁ、何が起こったの??・・と説明を求められても困るのだが、この時期、沖縄では、いろんなことが花開いたように思える。
空前の沖縄ブームでもあった。
そして、その立役者にたくさんの同期の友達が関わっていた。
ああ、これが、あの時、呼ばれた理由だったんだね。あゆみさんの言葉がよみがえってきた。彼女の予言は、本当だった。

その後、その巨大な爆発は、小さな波動の分子をあちこちに飛ばした。
種まきのように。次の集結のために・・・。

時に、大きな祭りの後の日常は、何か物足りなさを感じたりするものだ。
私は、空白感を感じ始めた。

「今だよ。今、沖縄に行きなさい!!」と、天の声が聞こえて、250cc のアメリカンタイプのオートバイに全財産を積んで、仙台の実家から沖縄に渡ってきて以来続いていた、物語の一つの終結を感じた。

でも、確実に次の集結の意味も感じていた。

そして、沖縄を出発した。

多分、いつか、あの時の波動の分子が、それぞれの場所で、もっともっと、大きな波動に育ち、世界規模で爆発する時がくるような気がする。
その為に、私は、沖縄を出発したように思える。まるで、沖縄が私に与えた、使命のように。

そして、沖縄に近い磁場を感じるこのロンボクに呼ばれたことも、きっと、次の集結の為なんだろうな・・・って思う。

ちょっと忘れていたことだけど、コメントくれた「沖縄に呼ばれているよと、予言された」 lotus55 さん のブログを読んでたら、波動のこと、思い出したんだ。

きっといつか、みんな、つながるね。  

Posted by Ruri at 19:31その他いろいろ

2005年10月17日

語学



20代半ば頃、東京の某商社の鉄の輸出部門に、派遣社員として働いていたことがあった。
その時の上司の発言で、妙に印象に残っている言葉がある。

彼は、アメリカ育ちの帰国子女で、英語は完璧。
で、人それぞれ持っている語学力のレベルがあって、母国語の日本語が要領を得ないしゃべり方をする人は、英語でもそうだという。日本語で、つっけんどんなしゃべり方をする人は、英語でもそう。
語学が達者な人は、日本語でも英語でも、達者だし、そうじゃない人は、いくら勉強しても、英語だけ、ぺらぺらになるってことは、ない・・・という。

妙に納得してしまった。
そして、英語がしゃべれるようになりたい・・という夢もはかなく消えてしまった。
日本語でも、時々何言ってるか自分でも解んなくなるのに、これじゃ、英語なんて、所詮無理だよ。人間、諦めも肝心だしね。

初めて1人で海外旅行に行ったのは、32歳の時。バリに5泊だった。
英語は、ほとんど0に近かった。
その頃のバリは、今程、日本語ができるバリニーズはいなかったが、ほんの5泊の滞在だったし、パック旅行でもあったので、特に不自由はなかった。

そして、片言の英語でも、なんとか一人旅ができるんだ・・って自信になった。そして、とにかく楽しかった。

それ以来、海外旅行にはまってしまった。

バックパック的な旅も楽しかったけれど、その後、サーフィンを始め、サーフトリップに旅のスタイルが変わった。これがまた、ものすごく楽しかった。
普通の旅より、お友達がすぐできる。ローカルともすごく仲良くなれる。
英語は、まだまだ、だったけれど、それでも、共通の楽しみがあるから、コミュニケーションがなんとか取れた。素晴らしい体験だった。

もっともっと、英語がしゃべれるようになりたい。もっともっと、いろんな国を旅してみたい、もっともっと、サーフィン上手になりたい・・・。
30代半ばにして、気が狂いそうな程に、海外への欲望が高まっていった。

8月のある夜、サーフィン帰りの友達と、名護の山の上の私の自宅兼工房で、オリオン・ビールを飲んでいた。
(ちなみにビール好きの私。ビア・サーバーが自宅にあったのでした。)

「外国に住んでみたいなぁ。」
「大丈夫。ルリちゃんだったらどこででも住めるよ。」
「そうかなぁ。」
「そうだよ。」

2日後、取引先に、「ごめんなさい、2ヶ月後に工房閉めます。」・・・とファックスを送る。

そして、3ヶ月後、オーストラリア行きの飛行機に乗り込んでいた。片道切符だった。

沖縄では、英語がペラペラだから、オーストラリア行ったってよぉ・・と、噂が流れたらしい。そうだったら良かったけど。

たいがいみんな、「英語がしゃべれない。」と言う。で、しゃべることに集中して、一生懸命、単語や文章を覚えようとする。
で、なんとか覚えて、しゃべれるようになったとする。勇気を出して、外人に話しかける。
すると、その外人は、お、こいつ、英語できるじゃん・・・と、ベラベラベラベラ・・・とお返事してくれる。

???????

そうなのだ。難しいパートは、しゃべることではなく、聞くこと。
相手が言ってることが、聞き取れないのだ。なので、なんとかかんとか、自分の言いたいことが言えたとしても、そのお返事が解らない。そして、会話が消滅してしまうのだ。

オーストラリアに住んでから、初めの数ヶ月は、ただひたすらテレビを見ていた。沖縄時代には、テレビを所有していなかった程、テレビ嫌いなのだけれど・・・。でも、語学の勉強には、一番いい。特に、子供向け番組と、普通のホーム・ドラマみたいなのは、かなり良かった。朝から晩まで、大音量で、テレビとにらめっこ。
がんばったかいあって、3ヶ月後には、簡単な日常会話は、かわせるようになっていた。

聞き取れるようになると、しゃべれるようになるものだ。あまりの成果に自分でもびっくりした。

日本の英語教材で、「ドリッピーの冒険」とか、聞き取り式のものあるけど、あれ、ちゃんとやったら、かなり効果あると思うよ。
私は、日本にいた時は、挫折したけどね。

それから、英語字幕付きの映画とかもすごく効果ある。好きな映画を何回か繰り返してみたりしたら、効果てきめんだはず。

オーストラリアに住んだ4年間で、一応、英語での日常会話は、なんとかなるようになったのは、素晴らしい成果と自分で思う。でも、仕事で英語を使っていた訳ではなく、友達とのおしゃべり程度だったので、残念なことに4年も住んでた割りに・・という程度。やっぱり、語学は、超苦手。

で、今度は、インドネシア語・・・。
過去形とかがないインドネシア語は、比較的簡単と言われている。
実際、半年くらいで、マスターしたよ・・という日本人がいっぱいいる。

同じ頃にバリに住み始めた女の子の友達も、すでにペラペラ。まぁ、彼女は、若いし、バリニーズと一緒に働いてるしねぇ・・って、言い訳??

オーストラリアの時みたいに、テレビ作戦にしようかとも思うのだけれど、どうも、インドネシアの番組って、おどろおどろしい、怪奇ものとかが多かったりして、引いてしまう。

ローカルの友達は、面白がって、ササック語(ロンボク独自の言葉・インドネシア語とは全く違う。)を使ったりして、ますます、混乱する始末。

でも、ここ、ロンボクは、英語話せる人が限られているから、がんばって、習得しないとなぁ・・・。

勉強・勉強の毎日です。  

Posted by Ruri at 20:07その他いろいろ

2005年10月16日

朝市





ここ、ロンボク・クタでは毎週日曜に朝市がある。

ロンボクに住み始めたての頃、一度行った事があるのだけれど、ローカルの迫力に圧倒されて、そそくさと退散。正直、ちょっと怖かった。

最近は、物の値段もだいたい解ってきたし、インドネシア語で値段交渉くらいはできるようになったので、今朝、勇気を出して?? もう一度トライ。

市場では、ローカルの友達に会ったり、顔見知りのおじさんがいたりで、初めてきた時みたいな、恐怖感?? は、なかった。
でも、にたって真っ赤な歯で笑いながら、かぼちゃとかをつきつけられたりすると、やっぱり、ちょっと後ずさりしてしまう。
(南の島では有名な今、名前ど忘れしちゃったけど、かみたばこみたいな木の実で、かみかみすると口が真っ赤になるやつ・・・今までみたことなかったけど、市場でいっぱい売ってた。)

それにしても、どこからこんなに人が湧いてくるんだろう・・ってくらい、すごい人。このあたりにこんなに人が住んでたなんて。びっくり。
野菜や魚の他にも、服や工具、バケツやらカセットテープやら・・・。
いろんなものがごちゃまぜで、売られている。すごい活気。

ローカルの友達が教えてくれた、ラギというものも見つけた。白い粉をコインくらいの大きさに固めた物体。友達もその正体がなんなのかは、解らないといっていた。でも、何やら、このラギと、炊いた米を交互に瓶などにつめ、一ヶ月くらい寝かすと甘酒みたいなアルコールになるという。

こりゃ、ぜひ、試してみなくちゃ。

懐かしいところで、するめやわらびも発見。
アジアだなぁ・・・と、妙に感動。
あじの開きみたいなのもあった。

思ったより、フルーツ類が少なく、楽しみにしていたランブータンは、見つけられなかった。残念。(ランブータン・・・知ってる?? 見た目は怪しげだけど、ホントに美味しい。私はスリランカで初めて食べたのだけれど、それ以来、すっかり病み付き。)

でも、ずっと探してた餅米と小豆が買えて嬉しかった。おはぎでもつくってみようかな。へへ・・・楽しみ。

それから、生のコーヒー豆も見つけ、これも、少しだけ購入。
前にもクタの店で、このコーヒー豆見かけたことがあって、ローカルの友達に、どうするのぉ・・・って聞いたら、煎って砕いて、飲むんだよって。

そんなのすっごい、面倒じゃんって言ったら、でも、安いでしょって。なるほど。
時間と労力はいくらでもあるロンボクの生活。
日本だったら、生のコーヒー豆を煎って飲むなんていったら、究極の贅沢っぽいけど、ここじゃ、節約のためなんだなぁ。

で、コーヒー豆だけだときつい(強い)から、米も一緒に煎って混ぜて飲むらしい。
このロンボクスタイル、なんだかそそられるので、これにもチャレンジ。

という訳で、週に一度の朝市で、珍しい食材をいっぱい買い込んだ私は、しばらくは、創作料理??で、楽しめそう。
何しろ、しゃれたパン屋やお菓子屋なんてないところ。最近、パンもシュークリームも全部手作り。
これで、お酒までつくれちゃったら、いうことないよなぁ・・・。  

Posted by Ruri at 20:01ロンボク

2005年10月15日

海外移住事情



1番初めの工房は、名護のオーシッタイという山奥に土地を借りて始めた。
木工をやってる友達等に手伝ってもらいながら、自分で、自宅兼工房を建てた。
4ヶ月くらいかかったけれど、楽しい時間だった。
大きな台風が来たら、飛んでしまいそうな工房だったけれど、
2年くらい前に、一度沖縄に里帰りしたとき、まだ、その元工房が無事に残っていて、嬉しかった。すでに10年近く。正直、びっくりした。

さて、その後、約10年間に名護の田井等、オーストラリアのツイード・コースト、そして、ここロンボクと、3カ国に渡って、土地や家を買っては、住み移ってきた。素人??の独身日本人女性??にしては、なかなかな経歴??と、ふと、自分で思ったり。

で、本題。

インドネシアは、外人名義では、不動産が買えない。
でも、たくさんの外人が不動産を取得している。
ある人は、外資の会社を設立し、会社の名義で購入している。でも、会社設立にはかなりの金額が必要だ。また、高額な税金なども発生してくる。
なので、かなりの人達が、ローカルの名義を借りて、不動産を購入している現実。

これが、トラブルのもと。
やれ、だまされたとか、土地を取られたとか、そういう話は、バリにはごまんとある。全然、珍しくない。日常茶飯事。
過去に山ほどトラブルがあるにもかかわらず、よくよく下調べもせず、投資したあなたが悪い・・・といわれるのがおち。

で、私もローカル名義で購入した類い。
バリに会社を持っている日本人の友達がいるので、彼の会社の名義で購入する予定だった。でも、いろいろあって、最終的に、ロンボクのローカルの友達の名義で買った。みんなのアドバイス通り、名義は、ローカルだけど、全所有権は、私にあって、もし、私になんかあった場合は、バリの日本人の友達に全所有権を委ねる・・・というような正式な書類は作った。

でも、ここはインドネシア。その書類がなんかあったときに、ちゃんと威力を発揮してくれるのかどうかは、謎だけど。

疑いだしたら、きりがない。

実のところ、ある日こっそり殺されて、海に捨てられてもだぁれも気づかないだろうな・・と思ったこともある。

昨日、ロンボク在住7年の、日系二世のヘンリーさんにもいっぱいいっぱい、おどかされた。

今日、もう一度、自分の土地に立ってみた。

現場では、土地の境界に塀をつくる工事がすすんでいた。
みんな、暑い中、がんばって働いてくれていた。

現場監督をお願いしている友達の笑顔。

ローカルのみんなが、グルプック初のゲスト・ハウスに期待してくれている熱気。
そして、土地から感じる暖かいパワー。

成功するか失敗するかは、多分、フィフティーフィフティー。

でも、グルプックに一目惚れした時のあの気持ち、そして、ここに立って心地よいこの感触を、信じたいと思う。
信じようと思った。

ちなみに、ミキサー車なんてない、ロンボク。手回しのミキサーさえないみたい。なので、セメントは、袋買いで、手作業でつくっている。
50kg入り一袋約400円。日本でいくらだっけ??
ここ、ロンボクでは、材料は自分で買って、職人を雇うシステム。

約300メートルx 高さ2メートルの塀の見積もりは、20人くらいのスタッフで、約1ヶ月。材料費約70万円、人件費約25万円で総額100万円くらい。

高いのか安いのか、ぼられてるのか、妥当なのか・・・。

でも、自分が納得してるんだから、それでいいかな。

ものすごいリスクを背負っているとしても、それでも、海外に住む事を選んだのは自分。
信じるしかないよね。  

Posted by Ruri at 20:18その他いろいろ

2005年10月14日

ヤギ



ここ、ロンボクでは、バッファローや牛、ヤギなんかが、その辺で草をむしゃむしゃ食べてます。
夕暮れ時は、圧巻。
そこら中で、放牧帰りのバッファローの大群とかとすれ違います。
からんからんという、首の鈴の音。山に沈んで行く夕日と、見事な夕焼け。
家畜の後を追う牛飼いの姿。私の好きな時間のひとつ。

夕暮れ時に、愛犬と散歩に出たら、ヤギがこっちというか、私の犬をじーっと見ている。以前、ヤギの写真撮りたくて何度かトライしたけど、カメラ向けるとそそくさと逃げていってしまっていたので、こりゃ、いいチャンス。
で、何枚か撮って、それじゃ、散歩の続き・・と思ったら、でかい方のヤギがポッキーを威嚇し始めた。
かなり怖かった。目がすわってる。このまま突進してきたらどうしよう・・・。
ポッキーも、ちびのくせに、相手がなんであれ、かかっていこうとする。
やばい。
少しずつ、少しずつ、距離を保ちながら、刺激しないように、ヤギを通り過ぎる。
その間、ずーっとポッキーとヤギは、視線をバトル。
ああ、怖かった。

今日、私の滞在している隣のホテルに、昨日バリからやってきた友達と一緒にインスペクションに行った。(旅行会社勤務の彼女は、各ホテルの値段や部屋の調査でやってきた。)
「Surfers inn」というサーファーに大人気のホテル。
オーナーは、ブラジルの日系二世。
日本にも8年住んでいたことがあるらしく、日本語ぺらぺら。5カ国語話せるらしい。素晴らしい。

すでにロンボクに住んで7年・・という。いろんな話を聞かせてくれた。

あんまり深く考えないで、海の前の土地買ってゲスト・ハウス建てるよぉ!!なんてことが現実になってしまっている私には、かなり刺激的な話だった。
詳細については少し頭を整理してから書こうと思うけど。

彼は、25部屋のゲスト・ハウスを建てるのに2年半を費やしたという。しかも、毎日、現場につきっきりで・・・である。
一日現場を離れたら、くねくねと壁が波打つか、スタッフみんなが、一日寝てるかのどちらからしい。

このエリアで、外人資本のビジネスなどがほとんどないことに疑問を感じていた私は、今日、その謎が解明した。

今までもたくさんの外人が土地を買ったり、ビジネスを始めたりしようとしたらしいけど、だまされたり、ローカルとの交渉に疲れ果てたり・・で、途中で国に帰ってしまったらしい。
そのくらい、エネルギーがいるという。

なので、グルプックくんだりに、土地買って、ゲスト・ハウス始めようなんて、すごい度胸だねぇ・・とか言われて、えーーーーって感じ。

知らぬが仏???
後の祭り???

そんなに大変だなんて、知らなかったよぉ。

やぱい。ヤギににらまれた時みたい。
思わず、ちょっと後ずさり・・・。

でも、もう、土地買っちゃったし。やっぱり、あそこに住みたいし。
今さら、後戻りできないし。
進むしかないよね。帰る所もないんだから。

夢のゲスト・ハウスが、夢で終わらないように・・と祈る今宵です。  

Posted by Ruri at 19:56その他いろいろ

2005年10月12日

ロンボクへのアクセス



ここロンボク島へは、バリから1日1便から6便、国内線が飛んでます。飛行時間は約30分。30人乗りくらいの GTエアーは、なんだか、遊園地のアトラクションみたいで初めて乗りこんだ時は、ちょっとどきどき。
飛行中コックピットと客席の間のドアが開いたり閉まったり。中も丸見え。普通はエアコンがんがんで寒いくらいの機内だけれど、GTは、飛行中は一応空調動き出すけど、それ以外は、なし。離陸までと着陸後は、蒸し風呂状態。みんな、せっせとせんすや紙をあおいでます。
飛行機ってなんで、飛ぶのかなぁ・・と素朴な疑問が浮かんできそうなくらい、簡素な機体。綺麗な海を空から眺められるおまけつき。これで片道2500円くらいだったら、ラフティングとかよりスリル満点??

その他には、シンガポールからの国際線週数便。また、バリのパダンバイ港から24時間1時間毎、カーフェリーが運行しています。所要時間は、約5時間。

私は、バリからの引っ越しの時に、このフェリーを使って夜中にバリを出発。夜明けと共にロンボク島に到着。なかなか、感動的な日の出を見ることができました。

私の土地は、飛行場のある、ロンボクで一番大きな町マタランから車で約1時間半。
でも、うちから車で30分くらいのところに新国際空港ができるらしい・・・ってこの話実は、10年前から語られているとも??

しかし・・・今回は、ちゃんとテレビのニュースでも、2006年着工。2010年完成!! と放送もされ、何やら、ホントらしい。
ローカルのみんなも、今度こそは・・と期待している。

この新空港ができたら、日本からもダイレクトにロンボク島にやってこれる。
素晴らしい!!

そしたら、誰かにお願いしなくても、自分で運転して、お友達を空港に迎えにもいける!!

実は、運転にあんまり自信のない私。渋滞のないロンボクといえども、馬車やバイクが混沌と行き交っているマタランは、どうにも運転できそうにない。情けない。

明日バリ在住の日本人の友達が遊びにきます。彼女は、ロンボク出身の男の子と結婚したので、里帰りがてら。バリから125ccのバイクに二人乗りでフェリーでやってきます。タフだなぁ。

ロンボクに住み始めて二人目のお客様。楽しみです!!
どこにお食事、行こうかなぁ・・・って、あんまり選択の余地は、ないのだけれどね。  

Posted by Ruri at 17:10ロンボク

2005年10月11日

楽園

人それぞれに違った楽園のイメージがあると思う。

サーフィン始めて以来、楽園をいつも心に思い描いてきた。
それは、暖かく綺麗な水で年中コンスタントに、あんまり混んでなくって、サーフィンできるところ。
野菜やフルーツが豊富で、食べ物やビールが美味しく、治安がそこそこ良くって、気のいいローカルの友達がいれば、それで良かった。

そんな楽園を探して、ずいぶん旅もした。
バリ・モーリシャス・オーストラリア・コスタリカ・スリランカ・・・。
どこも、素晴らしく、楽しい出会いもいっぱいあった。
でも、楽園の合格点には達しなかった。

すごく、簡単そうな楽園の条件。
でも、一番難しいのは、暖かく、綺麗な水で、コンスタントに混雑なく、サーフィンできること・・・だった。これって、世界中探しても、そうそうあるもんではない。特に、コンスタントに混雑なく・・・これは、ほぼ、不可能に近い。だって、良い波のとこには、世界中から、サーファーが押し寄せてくる世の中。そりゃ、ハワイやオーストラリアは、波はいいけど、混雑もひどい。波に乗る技術以上に、人をよけるもしくは、蹴落とす技術が必要だ。それじゃ、楽園にはほど遠いんだよなぁ。

そんな訳で、楽園探しの旅にも疲れ果て、楽園なんて、心の中にしか存在しないんだろうな・・・って諦めかけていたところ。

いろんなことに疲れて、ふっと息抜きに、思いついたのが、ロンボク島。
そんなに期待はしてなかったんだけど、バリみたいな渋滞がなさそうだったので、ホントにふらりとやってきた。
着いたときは、夕方で、どんより曇っていたのだけれど、それでも、バリとは全く、雰囲気も景色も空気も違うこの島が、とてもとても心地良かった。

ほんの5日間の滞在だったけれど、ロンボクの波が忘れられなくなった。

そして、3度目の渡ロンボクで、幸運にも、ずっと夢に描いていたような土地と出逢えることができた。ホワイトサンドのビーチの前で、年中割れてるサーフポイントが見渡せる土地。しかも、日本円で約300万円弱。そりゃ、素晴らしい土地は、世界中に山ほどあるけど、それだけに、値段も素晴らしく、とても私には手が出る価格ではないのが現実。その土地をローカルの友達に案内してもらった時、5秒で、購入を決めた。一目惚れ。
もちろん、安いだけあって、電話線が来てないとか、乾期は、水が週に数回しか流れてこないとか・・・いろいろ問題は、ある。
でも、そんなことは、たいしたことじゃない。最悪携帯はつながるし、水だって、買えはする。
一番大事なことは、綺麗な海の前であること。年中サーフィンできること。

その他にも、日本食がほとんど手に入らないとか、日本食どころか、野菜やフルーツ以外の食材も、車で1時間半くらい走らないと買えないとか、なーんにもなさすぎとか・・・もちろん、不便なことは数え上げたらきりがないけど・・・それでも私にとって、ここロンボク・グルプックは、100点満点の楽園。

沖縄にしても、オーストラリアにしても、その時の私には、楽園に限りなく近かった。
そして、今の私には、ここ、ロンボクが楽園。ここにゲスト・ハウスをつくること。世界中から友達が遊びにきてくれて、一日中思いっきり楽しくサーフィンして、夜は美味しい料理を囲みながら、一面の星の下で一緒にビンタンで乾杯すること。
いつでもみんなが帰ってこれる場所。みんなの心の中にいつも楽園として存在する場所。そんな楽園をつくることが今の私の夢。そして、今、その夢に限りなく近づいている幸せ。

諦めないで良かったなぁって思う。
一番大切で、そして、一番難しいことは、諦めないで探し続けることなのかもしれないね。

あなたにとっての楽園は、どこですか??

PS グルプックの波は、初心者にも優しいメローな波質です。サーファーではない人も、もちろん、楽しめますよ!!  

Posted by Ruri at 20:36その他いろいろ

2005年10月10日

ことのはじまり

1992年。いろんなことに疲れ果てていた私は、最後に生き残れる場所があるとしたら、それはもう、沖縄しかない・・・と、ある日突然思いたち、250ccのアメリカンタイプのオートバイに積めるだけの荷物を積んで、実家の仙台から、沖縄へと走った。27歳の夏のこと。そして、それが、全ての始まりだった。

琉球ガラスの第一人者、稲嶺盛吉氏との出逢い。修行。そして独立。
8年間の沖縄での幸せで、満ち足りた生活。が・・・幸運??不運??にも、サーフィンにはまってしまった。34歳の夏。

リーフブレイクのみの沖縄では、満潮前後しか、サーフィンができない。歳も歳だし、このままでは、一生波になんか乗れない。もう、やることやって、自分の人生に満足してるから、この先なーんにもいらないから、残りの人生、サーフィンにかけたい。生活の一部のように、毎日サーフィンのできる所に住みたい!!!

で、オーストラリア・ゴールドコーストに移住。運良く、沖縄でのガラス工芸の実績で、4年のビジネスビザを取得。日本から引き続きオーダーが届き、オーストラリアで琉球ガラスを吹きつつ、サーフィン三昧の日々。夢のような毎日だった。

ビザの期限が切れる頃、オーストラリアの永住権取得を決心。が、申請準備をしていたら、法律が突然変わってどんなにがんばっても、自力では永住権取得は不可能になってしまった。 
しかたないので、とりあえず、バリに引っ越し。
でも、どうも、バリの渋滞と海水の汚染と黒い砂のビーチが心地よくない。
ふと、訪れた隣の島、ロンボクがすっかり気に入り、愛犬共々、またまた引っ越し。海の前の土地7000m2を約300万円くらいで購入。現在、ゲスト・ハウスを建築中。
というのが、ここまでのあらすじ。
人生って、面白いなぁ・・・。

今までは、glass studio 游のサイトで日記を更新していたのだけれど、友達の勧めでブログにしました。
そんな訳で、ロンボクでの生活やサーフィンのこと、旅のことなどなど、綴っていきたいと思ってますので、どうぞよろしく!!  

Posted by Ruri at 13:10その他いろいろ