2007年01月20日
国内線大荒れ

☆ 期待のグロメッツ、Gono とGedy。アイルグリンにて。それにしても、もともとサーフィン始めて2〜3年の彼ら。毎日ビデオを撮っているのだけれど、日々、目に見えて成長中。3月のスンバワの大会がホントに楽しみ。
年末年始の混雑時にまいったのが、バリ〜ロンボク間の国内線のスケジュールがかなり混乱したこと。
機体の故障や天候不順が原因のようだが、フライトキャンセルや遅延が毎日。
日本からの国際線もキャンセルや遅延があったようで、ゲストもかなりお疲れのようだった。
うちのゲストで2度、4組、午後5時のフライトが、突然、朝10時半のフライトに変更になった。
しかも、変更の連絡が航空会社からうちのスタッフに入ったのが、前日の夜10時。
翌日夕方5時の予定で、ローカルみんなと最後の夜を楽しんでいたゲスト。いきなりの変更で、朝7時半のチェックアウトを余儀なくされた。
かわいそ〜。
また、空港に迎えに行ったはいいけど、3時間の遅れで、次の予定の送迎に間に合わず、うちの2台の車ではまわせず、急遽、1台を他からチャーターしたり。
その後も時間変更が続き、今日チェックアウトのゲストも朝10時半が9時(メルパティ)と、9時半が12時(IT)に変更と、昨日の夜連絡が入った。。
いずれも帰りの便は、うちで手配したので、変更があった場合、ちゃんと連絡がきたけれど、自分でチケットを取ってる方は、お気をつけ下さい。
「Lakuen」は、ちょっと電波の入りが悪いですが、クタエリア等は、日本からのローミングでちゃんと接続できるようです。
最近は、かなりのゲストがローミングサービスを申し込んできているよう。
安いサービスなどもあるようなので、日本との連絡必要な方は、ローミングされてきた方がいいかもしれません。
また、インドネシアに長期滞在される方は、バリなどで、安いこちらの携帯を買うのも手。SIMカード式なので、この携帯で、たいがいの国(アメリカ、韓国、日本以外は、ほとんど)で、使用できます。(それぞれの国でSIMカードを買って入れるだけ。)
クタエリアでも、電話は、しょっちゅう止まるし、ネットカフェも3件くらいあるけど、停電で使えなかったり、ものすごく遅かったり、1台しかないから、他の人が終わるまで長いこと待ったり・・・と、外界??との接続状況は、かなり悪いここ南ロンボクの現状。お気をつけくださ〜い。
☆ ここ数日、アウトサイドが炸裂。「Lakuen」チームライダーは、みんなでチューブ合戦!! でも、今日からサイズダウン。次のスエルは、あさっての予報。
2006年07月19日
シンガポールの話

☆ こーんな感じで色使いとかが洒落たシンガポールの建物は、眺めていてなかなか楽しい。(リトル・インディア)にて。全体的に西欧風なんだけど、アジアのセンスの良さもミックスされて、こじんまりとかわいい感じ。
またまた、シンガポールの話でなんですが、事前にバリのビザエージェントから聞いていたホテルに、当日、宿泊申し込みのメールを送ったら、満室だとお返事がきた。(当日に問い合わせた私も、悪かったけど〜)
で、今度は、現地のエージェントにホテルを聞いたら、名前は教えてくれたけど、電話番号とかわからず、直接行って、申し込め〜という。
仕方ないから、現地で探すことにした。
で、午後6時40分マタラム発の飛行機は、予定通り9時30分にシンガポール着いた。(シンガポールとロンボクは時差がなくて、らくちん)
税関とかは、超らくらくなシンガポールだけれど、世界のハブ空港だけあって、とにかくでかい。移動だけで、ものすごく時間がかかる。
気づいたら、空港ロビーのホテル予約カウンターについたのは、午後11時近く。
「今夜、空きのあるホテルあるかな〜?」と、見るからにインド人風のカウンター女性に訪ねると、「おっと。今から〜??」「全部満室で、150ドルのXXXしかないよ〜」と、面倒くさそうに答える。そりゃ高い。もともと、シンガポールは、ホテルがかなり高い。でもなぁ〜。そりゃ、私には、ちと高い。
で、現地エージェントに聞いていたホテルの名前を手帳からひっぱりだして、「このホテルは、どう??」と訪ねると、「おっと、あんた、シンガポールの情報あるんじゃん」ってな感じで、「オッケー、あなたのために、そこに電話で問い合わせてあげるわよ」って、電話してくれた。
で、結局、シングル・税込み込みで60ドルで空き有りだという。
ふぅ〜ん。その88ホテルは、リストにもあって、すでに満室マークがついていたけど、まぁ、あんまり深く追求せずに、だまって、2泊の予約をとってもらった。
で、タクシーで無事、11時30分には、チェックイン。軽い機内食は出たけど、お腹すいてる。外で食べれとこはあるか、何時まで開いてるか〜と、ホテルの受付に訪ねると、そこらじゅうに朝4時までやってる店が五万とあるよ〜と微笑む。おお、これぞ、シンガポール。ロンボクじゃ〜11時半なんて、島中、真っ暗だぜ〜。
そんな訳で、チェックイン後、外に出てみた。すごかった。
店は、五万とあり、人も五万といた。
木曜日の夜中の12時に、新宿西口並の人ごみである。
で、前出のカールスバーグとそうきそばを胃袋におさめ、近くのコンビニで、寝酒??のタイの「シンハビール」(超美味しくて、大ファン。しかも、シンガポールでは、ローカルビールが3.5ドルくらいなのに、シンハは、2.4ドルで安かった〜。)と、焼きのりせんべい〜とアイスクリームを購入。
はぁ、コンビニでせんべいとビールとアイス。
まるで日本〜。こんなの15年ぶり???
田舎好きの私は、沖縄でもオーストラリアでも、インドネシアでも、コンビニとはほど遠い地域に住んでいた。なので、歩いてコンビニ〜なんて、東京以来??
(おっと、バリでは、スミニャックに住んでいたので、コンビニまで徒歩8分だったけど。)
で、どうも私が泊まったエリアは、シンガポールの赤線地帯とか言われている、地域らしい。見るからにそれ風??の女性がそこら中に立っていた。
そういう光景を見るのも、ホントに久しぶりだったから、その、歌舞伎町みたいなごっちゃな雰囲気は、なかなかツーリストとして楽しかった。
そして、人々の食や性に対するストレートな欲望は、それはそれで、自然でエネルギーに満ち満ちて見えた。
そして、そこら中のかわいらしい建物。
人間の生活にとって、必須の「衣食住」に対する欲望の固まりみたいなシンガポールは、グルプックの田舎から出てきた私には、とにかく刺激的で楽しかったのである。
☆ インサイド・セットで肩〜胸。ちょっとサイズ上がってきた。明日は、もっと上がる予報。それにしても・・・今日も、ヨーロピアンのビギナーでいっぱい。でかいセットで、み〜んな思いっきり流されてました〜。
2006年07月15日
帰ってきたよ〜
予報では、金曜日にかなりあがるはずだったけど、そんなに波よくなかったよ・・・と、空港に迎えにきてくれたキャプテン・マットの報告。そっか〜。私が留守にしてたからね〜と、自分自身を慰める??
マタラム自体が2ヶ月ぶりくらいだったから、ついでに島唯一のショッピングセンター・マタラム・モール内のスーパーマーケットで食材などを調達するが、シンガポールの後だけになんだか全てが色あせて見えた。
ん〜。シンガポール・・・良かったな〜。いたるところに食べ物屋があって、それが全て美味しく、そして速くて、安かった。ついでに吉野家の牛丼なんてもんも15年ぶりくらいに食べちゃった。スターバックスのコーヒーも、オーストラリアのサーファーズ以来。で、いずれも、ものすご〜く混んでたっけ。シンガポール人にも受けてるんだな〜。びっくり。
つゆ入り麺が好きな私としては、シンガポールは、まさしく天国。オーストラリアでもスープ系の麺って少なかったし。ロンボクに至っては、屋台系は、どうも胃腸の具合によるし、味の素漬けって感じもするし。
とにかく、シンガポールは、美味しくて便利でなんでもあって、グルプックの田舎から出てきた私にとって、そりゃ〜も〜「天国」みたい。PS「楽園」は、「グルプック」にあるのである・・・。
あり金はたいてきました〜って、これ、ホントにあり金。もったいない症の私は、旅行後の現地の現金も結構、まめにとっておく性質。よくよく自分のあり金??みたら、スリランカ・ルピーが2万円弱。USAドルが25ドル。タイバーツ三千円くらい。日本円三千円、ついでにオーストラリアのTCと現金が2万円くらいあった。で、最近、ゲストと話していて気づいたのだけど、お金って、どんどん新しくなるし、古い紙幣は、さっさと使った方がいいってことに気づいた。私の千円札も、夏目漱石さんだったし〜。
これらをインドネシアで換金するよりは、シンガポールで換金もしくは、実際に使う方が全然レートもいいので、今回は、カード等を一切使わず、有り金で過ごした。で、なんとか有り金??で過ごせた。
思えば、海外は、去年の今頃、シンガポールでのビザの申請がてら、スリランカの東海岸・アルガンベイを旅しての1年以来。ほんの2泊だったけど・・・やっぱ、旅っていいな〜。
私、ふわふわと「ふゆう」してるのが好きで、ガラス工房の名前も、「游」にしたんだよな〜。この「游」には、浮遊する、海外を旅する、遊学する・・・なんて意味があるらしい。
地に足つけないで、生涯ふわふわと生きていたくて、この工房名にした。
書きたいことはもっとあるので、それは、後日。
久々の我が家でポッキーといちゃいちゃ??しながらBINTANG を飲みながら・・・ちょっとスリランカが懐かしい今宵・・・。
シンガポールの「リトル・インディア」でほとんどの時間を過ごした私は、そこにいるインド系の人々の食材や顔立ち、性質に触れていると、どうしても、スリランカのみんなのことを思い出さずにはいられなかった。
最後にスリランカを訪れてから、1年もたっちゃったんだな〜、
I’m missing Madhura and all my friends & curry in Sri Lanka.
マタラム自体が2ヶ月ぶりくらいだったから、ついでに島唯一のショッピングセンター・マタラム・モール内のスーパーマーケットで食材などを調達するが、シンガポールの後だけになんだか全てが色あせて見えた。
ん〜。シンガポール・・・良かったな〜。いたるところに食べ物屋があって、それが全て美味しく、そして速くて、安かった。ついでに吉野家の牛丼なんてもんも15年ぶりくらいに食べちゃった。スターバックスのコーヒーも、オーストラリアのサーファーズ以来。で、いずれも、ものすご〜く混んでたっけ。シンガポール人にも受けてるんだな〜。びっくり。
つゆ入り麺が好きな私としては、シンガポールは、まさしく天国。オーストラリアでもスープ系の麺って少なかったし。ロンボクに至っては、屋台系は、どうも胃腸の具合によるし、味の素漬けって感じもするし。
とにかく、シンガポールは、美味しくて便利でなんでもあって、グルプックの田舎から出てきた私にとって、そりゃ〜も〜「天国」みたい。PS「楽園」は、「グルプック」にあるのである・・・。
あり金はたいてきました〜って、これ、ホントにあり金。もったいない症の私は、旅行後の現地の現金も結構、まめにとっておく性質。よくよく自分のあり金??みたら、スリランカ・ルピーが2万円弱。USAドルが25ドル。タイバーツ三千円くらい。日本円三千円、ついでにオーストラリアのTCと現金が2万円くらいあった。で、最近、ゲストと話していて気づいたのだけど、お金って、どんどん新しくなるし、古い紙幣は、さっさと使った方がいいってことに気づいた。私の千円札も、夏目漱石さんだったし〜。
これらをインドネシアで換金するよりは、シンガポールで換金もしくは、実際に使う方が全然レートもいいので、今回は、カード等を一切使わず、有り金で過ごした。で、なんとか有り金??で過ごせた。
思えば、海外は、去年の今頃、シンガポールでのビザの申請がてら、スリランカの東海岸・アルガンベイを旅しての1年以来。ほんの2泊だったけど・・・やっぱ、旅っていいな〜。
私、ふわふわと「ふゆう」してるのが好きで、ガラス工房の名前も、「游」にしたんだよな〜。この「游」には、浮遊する、海外を旅する、遊学する・・・なんて意味があるらしい。
地に足つけないで、生涯ふわふわと生きていたくて、この工房名にした。
書きたいことはもっとあるので、それは、後日。
久々の我が家でポッキーといちゃいちゃ??しながらBINTANG を飲みながら・・・ちょっとスリランカが懐かしい今宵・・・。
シンガポールの「リトル・インディア」でほとんどの時間を過ごした私は、そこにいるインド系の人々の食材や顔立ち、性質に触れていると、どうしても、スリランカのみんなのことを思い出さずにはいられなかった。
最後にスリランカを訪れてから、1年もたっちゃったんだな〜、
I’m missing Madhura and all my friends & curry in Sri Lanka.
2006年02月11日
マダガスカルのこと・その2

☆クタビーチで大量の「うにの殻」発見。ってことは、みんな食べてるのかな〜??
で、や〜っと2月8日の続き。
その頃、いろいろ旅行先を考える中で、なんでかものすご〜くマダガスカルに行きたくなった。当時は「地○の歩き方」さえ出てなかったから、ネットでの情報が全て。日本に住んでるマダガスカル人の日本語のサイトがあって、それがかなり役にたった。というか、そのサイトくらいしか、情報源がなかったような〜。
もともとアフリカにとても惹かれていたのだけれど、いきなりのアフリカは、ビギナー・バックパッカーには過酷すぎるような気がした。
で、自分たちは、アジアの一部と思っているらしいマダガスカル人。同じ島国の日本がこんなに成長したんだから、自分たちにもできる〜と結構親日の雰囲気が強いらしいこと。米の消費が実は世界一。沖縄と同じ先祖崇拝で、牛が一番の宝物・・・とかとか、切れ切れの情報に、どんどん惹かれていって、しまいにゃ、「私は、今、マダガスカルに行かなきゃいけないんだ〜!! 」くらいの思い込みになっていった。
が、マダガスカルでのサーフィン情報は皆無に近く、「南西部で可能ならしい」程度。そんなとこに一人でサーフボードを担いで行く勇気はなかったので、サーフィン目的の滞在地を探す。スリランカかモーリシャスか、ものすごく悩んだのだけれど、アクセスの楽さからモーリシャスにした。
で、5週間の海外移住体験の旅に出発。
このモーリシャスで、まずやられた。サーフィンで有名なタマリン・ベイにキッチン付きサーファー用の安いアパートがあり、そこに居を構えた。全6室のアパートは、み〜んな長期滞在のヨーロピアン・サーファー。で、ローカル・サーファーも集まってきて、毎日なんだかただ、楽しい。波はいまいちだったけど、夕方ビーチでみんなで歌ったり踊ったり。な〜んにもないとこだったけど、海もローカルも限りなく美しかった。
で、3週間目くらいに、小さなデイパックひとつで、マダガスカルに飛んだ。
モーリシャスで、のほほ〜んと平和な南の島暮らしにはまっていたので、いきなりのマダガスカルは、結構、強烈だった。
なんというか、想像以上にアフリカだった。
赤土の大地。つちぼこりの中の赤レンガの建物。深く濃いマダガスカル人の雑踏。もとフランス領で、言葉はマダガスカル語かできてフランス語。英語は、ほとんど通じない。まぁ、私の英語もほとんど0に近かったけど。
首都のタナナリボから車で3〜4時間のアンチラベという高原の温泉保養地に滞在。とりあえず、毎日、公共の温泉施設に通った。何しろ沖縄に住んで7年強。温泉が恋しくて仕方ない。何もわざわざ日本人がマダガスカルで温泉?? って気もしたけどね。
で、あとは、ただ毎日ぶらぶらとこの町を歩いた。
女性が何人か集まって、楽しそうにおしゃべりしながら、川で洗濯をしている。洗ったものは、河原にだ〜って並べて干すのが、マダガスカル式らしく、色とりどりの服がとても綺麗。また、薪で焼いたアイロンで、ちゃんとアイロンまでかけてて、これにはびっくり。
ちょっと町を離れると、電気も水道もない部落が続く。粘度で積み重ねただけのレンガのおうちに何人もの家族が寄り添うように暮らしている。
みんな裸足で、時にはまともな服も着てない。
でもなんだか、とっても幸せそうだった。
人々は、一生懸命働いていたし、くったくのない笑顔は、なんだかとても美しかった。
「ホントの幸せって何かな〜」ってことをものすごく考えさせられた。
欲しい物はなんでも手に入るくらい、物質的に(とはいえ、もともと物欲ないから、車も服も適当だったけど)、恵まれた沖縄での生活。でも、私が本当にしたいことは、なんなんだろう???
もともと、日本中を転々と暮らした根無し草。一番、欲しかったのは、自由だった。ものを所有せず、ものに所有されず、心のままに、住みたいところに住んで、やりたいことをやれるような人生。
原点に戻りたくなった。
もう一回、0に戻ってみたくなった。
かつて沖縄に向かった時みたいに。空っぽのまま、心と体が求める場所に向かってみたくなった。
そんな気持ちをはっきりと、認識させてくれた、マダガスカルだった。
帰国後数ヶ月、現実的に、悩んだ結果、やっぱり海外移住を決断。
(更に裏話をすると、決断した時点での手持ち資金は100万円にも満たなかった。そんなんで、海外移住する気になったんだから、よっぽどせっぱつまっていたんだろうな〜。)
で、その80日後には、オーストラリアに向かう飛行機の中にいた。
たまたま、初の移住先が日本よりもいろんな意味で快適なオーストラリアだったため、マダガスカルで感じた、原点みたいなのは、すっかり忘れてしまっていたけど。
今、こうしてロンボクに暮らし始めて、あの時の気持ちがよみがえってきた。
あの時のマダガスカルで出逢った人達の笑顔と、ロンボクのローカルの笑顔がだぶる。
私に一番の勇気を与えてくれたのは、マダガスカルの人達かもしれないな〜。
やっぱり、旅っていいですね〜。
2006年02月08日
マダガスカルのこと・その1

☆こ〜んな風に舟の浮き竹につかまって、らくらくシュノーケル。綺麗でしょ〜。
海外デビューは結構遅くガラス屋として独立して2年目の1997年(32歳)。バリに3泊のパック旅行。英語もほとんどできなかったし、当時はそんなに日本語のできるガイドもいなかった。
でも、すっかり海外旅行の魅力にはまってしまった。
(お〜っと忘れてた。25歳くらいの時に友達とハワイに行ったことあったけど、あれは、どうも海外旅行って感じじゃなかったな〜。)
毎年、冬場は注文が減る。月に20万円くらい重油代がかかっていたので、へたに仕事をするよりは、火を止めて休みにした方が効率がいい。
で、毎年冬は海外に行くようになった。
二番目はタイに3週間。チェンマイとコ・サメットという小さな島に半分ずつ滞在。チェンマイは高い建物がなく、掘りや川、緑と石づくりの建物が調和した、とてもステキな街だった。
有名なトレッキングにも参加。山歩きをしながら、山岳民族の部落にキャンプしたり、象に乗ったり、竹のいかだで川下りをしたり・・・。
ツーリストに人気のアトラクションなだけあって、とっても楽しかった。
ただ、残念だったのは、グループの大半が欧米人。英語がほとんどできなかった私には、みんなとおしゃべりがなかなかできない。
1人英語のできる日本人の男の子がいて、ものすごく羨ましかった。
どうやって、勉強したの?? って聞いたら、1ヶ月サイパンかどっかの英語合宿に参加した・・・という。いいな〜。私も英語しゃべれるようになりたいな〜と、切に思った。
沖縄に帰ってから、一大決心して、名護の「ジ○ス」の門をたたいた。で、これまた一大決心で、50万円くらい払って、1年コースに申し込んだ。
が、なんていうか、週に2回90分くらい、学校に行ったからって、すぐしゃべれるようになる訳ではない。基本的には、自分の予習・復習が大事。でも、どうもそれができない。
で、3ヶ月で挫折。お金は半分、返してもらった。(このペースでは、20万でどっかに旅行した方がずーっと英語の勉強になりそうな気がして。)
で、そのお金で今度はバリに2週間。これは最高に楽しかった。
ただの旅も楽しいけれど、サーフトリップは、また格別だった。
「サーフィン」という共通の目的があるから、多少言葉が通じなくても、すぐ友達ができる。
新しい土地で新しい波に乗り、新しい友達ができる。こりゃ、楽しすぎる!!!
そのうち、海外にいる時間の方が、自分にとって、自然体でいられるように感じはじめた。
心が解放されて、なんの束縛もなく、しがらみもなく、ありのままの自分でいられる。
海外に住んでみたい・・・そんな気持ちが生まれ始めた。
でも、自分でも半信半疑。外国に住むなんてこと、私にできるんだろうか??
で、海外移住の実験?? で、モーリシャスに5週間程行く事にした。
もし、これで、沖縄が恋しくなったら、移住は無理だろう。
でも、もし、ものすごく快適だったら、本気で移住考えてみようかな〜。
と、なんか長くなりそうなので、続きは明日〜。
2005年12月02日
雨期

☆ みんなそろって畑仕事!!
バリやロンボクの季節は、雨期と乾期のふたつ。
雨期は、11月から3月くらいで、それ以外は乾期。
バリの場合、この雨期と乾期の違いは、風向きがくっきりと変わり、解りやすい。サーフィンで有名なクタピーチも、雨期はオンショア(海からの向かい風)で、海は荒れ放題。知らずに初めて、雨期のクタ・ビーチにやってきたら、ポストカードなどのイメージとあまりにかけ離れていて、ショックが大きいかもしれない。
雨期は、西風が強くなるので、サーフポイントは、東海岸がメインになる。
スランガンは、白浜のビーチにクリスタルクリアな水で、雨期のお勧めポイント。
私の住む、クタ・ロンボクのあたりは、バリと比べて、とてもとてもドライな地域。乾期は、茶色の山肌がますますドライ感を高める。
2年くらい前に、オーストラリアの次の移住候補地だったコスタリカに3週間くらい滞在したことがあった。
なんで、コスタリカだったかって言うと、波がなかなか良さそうなのと、水温が暖かいこと。不安定な中米でありながら、軍隊を持たない永世中立国であること。また、エコツーリズムが盛んで、国土の80パーセントくらいが、国立公園に指定されていることなど、私の楽園のイメージにとてもとても近かったから。
でも、残念ながら、私のコスタリカの第一印象は、あんまり良くなかった。海沿いの土地はドライで緑が少なく、茶色い山肌と枯れた草や木ばかりの風景は、緑あふれるオーストラリアからやってきた私には、ショックが大きすぎた。
また、ラテン系で、優しくフレンドリーと、ガイドブックに書いてあったコスタリカ人は、私にはあんまり優しくなかったし、深い顔立ちやヒゲなど、視覚的にもちょっと怖かった。
だいたい、店などに入っても、なんか、欲しいもんあるなら、売ってやるよ!!って感じなのだ。その点、オージーは、スーパーのレジとかでも、みんなフレンドリーで、これ、おいしいよねとか、この色、私も好きよ!!とか、いろいろ話しかけてくる。そのギャップが大きすぎた。
また、海の前の土地など、まだまだ安い・・・というふれこみだったけれど、なんの。すでにアメリカ人がみんな買い占めていて、オーストラリア並みの価格。アメリカと陸続きだけあって、アメリカの文化や製品があふれ、オーストラリアよりもいい車がいっぱい走っていたりして、驚きもした。
私はすっかりホームシックになって、果ては原因不明の腹痛をおこし、かなり辛い3週間を過ごした。旅があんまり楽しめなかったのは、これが初めてのこと。で、毎日カレンダーとにらめっこして、やっとの帰国日。最後には、歩くのもかなり辛い程だった腹痛は、飛行機がオーストラリアに近づくにつれて薄れ、ゴールドコースト空港に到着した時には、すっかり治っていたのだった。
これには、自分でもびっくりした。
で、今思うと、ここロンボクのドライさは、あの時のコスタリカと同じ感じ。もし、ここにオーストラリアからダイレクトに飛んで来たら、私はこれほど、ここが好きにならなかったかもしれない。でも、バリに5ヶ月住んで、渋滞とかにうんざりしていた後だったので、ここのなんにもなさが、とにかく気に入ってしまった。
順番って、結構、大事だよね。
もし、今、コスタリカに行ったなら、また、全然違った印象になるような気がする。せっかく22時間も飛行機に乗っていったのに、ちょっと残念だったなぁ。
さて、ここロンボクは、雨期に入って、山にも道にも緑があふれ、とってもいい感じ。フルーツも花も豊富で、雨の後は涼しく、ちょっと心配していた雨期だけれど、思っていた以上に快適。
今まで荒れ地だった畑にも、人々が繰り出し、いろいろ植えているみたい。のどかな田園風景が、アジアチックで、これまた、気持ちが安らぐ。
雨期といっても、1日に1度か2度、ざざーって降って終わりってことが多いので、日本の梅雨の感じと違って、気持ちいい。雨のたんびに山の緑は増え、しっとりと空気が澄む雨期。
特に雨上がりの風が止まったときの、鏡のようにグラッシーな海にパカンと割れる白い波は、崇高な芸術作品のよう。
雨期のロンボクもなかなか、おすすめだよ。





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