2008年01月07日

転職と職歴

自宅療養??に入ってから、いろいろ人生の整理整頓をするために、これまでの道のり?なんかをおさらいしている。

今回、「仕事」が原因で行き詰まっているとも言えるので、これまでの職歴なんかについて、掘り下げてみた。
(本来ならば、精神科医とか、専門のカウンセラーなんかを訪ねるべきなのかもしれないが、そういうところは、ここにはないし〜日本人の私にとってという意味で。仮に日本に住んでいたとしても、病院嫌いであり、なおかつ根が貧乏性なので、きっと、行かないだろうけど。)

前にもちょっと書いたが、27歳で沖縄でガラスの修行を始めるまでに、ざっと数えて40〜50回くらい転職した。(今となっては、全てを思い出すこともできないくらいだけれど。)

ガラスで独立し、雑誌の取材を受けた時に、そんなようなことを語った記憶がある。(確か記事には、「40回の転職でやっと手にした天職」とかいうコピーがついていたような気がする。今思うと、なかなか笑える?コピーである。)

その記事を読んで、たまたま近所に住んでいた女性が、「うちの弟もそうなんです。何か一言、言って下さい」とやってきた。
ん〜と唸ってしまった。仕事が長続きせず、転職を繰り返すという「行為」は、同じでも、その「内容」は、人によって、かなりの違いがあると思う。
そして、一目で、その男の子の「内容」は、私のそれとは、違うと察した。

仕事が長続きしない若い人たちが増えているらしい。最近の日本のことは、あんまり知らないけれど、これだけ多様化した暮らしの中で、終身雇用なんて言葉は、きっと化石と化していることだろう。もちろん、私にもそんな意識は、子供の頃からなかった。

私の場合の転職とその「内容」について、ちょっと吟味してみた。

人は、転職する際、だいたい似たような分野に転職するものだと思う。が、私の場合は、そうではなかった。
40回くらい転職したが、正式には、40職種くらい、変わった・・・と言えると思う。わずか10年の間に・・・である。我ながら、そうとうにタフだったな〜と懐かしく思う。が、もちろん、その時々は、悩み、苦しみ、ふがいない自分を嘆いていた。そして、履歴書を書く度に、ああ、こんな風に私はこれからの人生、何度履歴書を書き直し続けるのだろう〜と嘆いた。

面接で落ちたのは、1度だけである。高校生の時に、新しくできた「イタリアントマト」という全国チェーンのレストランのアルバイト募集に落ちた。後日、その町に初めて登場したその店の前を通って、落とした面接員は、正解だったと思った。どう考えても、そこは、私には、不似合いな場所だった。

私は、仕事探しの名人だとも思う。

昔からそうだったが、突然、ある土地に興味が湧く。するとそこに住みたくなる。旅行で訪れるだけでは、満足できない性質であった。
で、つてもあてもなく、とりあえずその土地にいくと、必ずといっていい程、その土地らしい、仕事に巡りあえたのだった。

19歳の冬。突然、北海道の流氷が見たくなった。ある深い理由からである。
で、網走の駅で、さて、どうやって流氷を見に行こうかと思案していたところに、一人の男性が現れた。どんな理由か忘れたけれど、彼は、たまたま休暇で、網走に帰っていて、流氷が見たいと告げると、車で案内してくれた。あげくに美味しいラーメンまでごちそうしてくれた。

子供の頃から、流氷が鳴く声を聞いて育ってきたよ・・・と、彼は語った。

念願の流氷は、すでに大地と一体化し、ふ〜んこれが、流氷なんだ〜といった印象だったような気がする。それよりも、深い雪に覆われたこの下に大地があることの方が不思議だった。その大地を見たいと思った。
そして、いつものように??求人情報誌を買い求め、仕事を探した。
どうせなら、北海道らしい仕事がしたいな〜と思っていたら、北海道営競馬・厩務員募集という記事が目に留まった。経験不要ともあった。
さっそくそこに電話をすると、とりあえず、来いという。残金を計算すると、そこに書かれている「静内」という町に行くだけで、終わってしまいそうな金額だった。(と、これまた今思い出したが、この流氷資金、持ち金だけじゃ足りなくて、中学時代のクラスメートに1万円借りて行ったのだった。思えば私はいつも貧乏だったのだ。そして真冬の北海道で、ろくに食べるお金もなく、リンゴをかじって飢えをしのいでいたことまで、ついでに思い出した。タフだったな〜。)

で、本題に戻る。

言われた通りに、静内の駅で待っていると、巨大な真っ赤な車が止まった。(後日、それは、リンカーンだと知った)
そして、その車からハンチング帽をかぶった小柄な男性が現れ、私の名を呼んだ。調教師のY氏だった。人なつこい、懐かしい気持ちになる、暖かい笑顔だった。
そんな風にして、私の北海道生活が始まった。

まだ薄暗い早朝、馬を厩舎から出し、放牧地に連れて行く。厩舎を掃除し、午後には、また、馬を放牧地から連れて帰り、飼い葉を与える毎日。シーズンには、北海道内の競馬場を馬と共に、馬運車とリンカーンやサンダーバードといった車を連ねてどさまわり?するジプシーのような生活。(調教師やジョッキーは、なぜかアメ車が大好きだった。彼ら曰く、馬に蹴飛ばされても頑丈だから・・・であった。そして、いずれの車もかなりの年式だった。北海道の大地をそれら年期の入った車で移動していくのは、60年代のアメリカ映画のワンシーンみたいで、本当に楽しかった。)

そういえば、子供の頃、動物園の飼育係になりたかったんだよな〜と、まだ薄暗い朝もやの中、がらがらと厩舎の扉を開けながら、ああ、夢のような生活だなぁ〜と感慨にふけった記憶がある。
それは、確かに夢のような生活であった。

そして、ワンシーズンを終え、親子のように暮らしてきた、Y氏に別れを告げた。「この1年、本当に楽しかったし、満足しています。でも、多分、他にやらなくてはいけないことがあるような気がするんです。」
「そうだな。るーはまだ、若いし、いろんな可能性があるだろう。いつでも帰ってきていいぞ。」

当時つきあっていた、ジョッキー見習いのIが、苫小牧まで、見送ってくれた。
「ホントにお前、帰るんだな」
「うん」
「Iのことは、ホントに好きだったよ。ありがとう。でも、それとこれとは、違うことなんだと思う」
「解るような気がするよ」

とま〜こまいはつ〜せんだいいきフェリ〜なんて誰かの歌詞そのもののような別れだった。

☆ 西風も強いが、サイズアップ。カメも割れている模様。次のスエルは、13日の予報。
  

Posted by Ruri at 14:24回想録